[BlueSky: 1351] Re:1349,1346 雇用対策としての可動堰


[From] "一ノ瀬 威" [Date] Sun, 30 Jan 2000 22:29:11 +0900

一ノ瀬(尼崎市)です。
横山さん、葛貫さん、コメントありがとうございました。

 1349や1346を拝読させていただいた限り、

「(可動堰を含む)無駄な公共事業は無くして行くべきである。」

というご意見であると理解します。
 この点では私も同意見ですので、この点では一致を見たのもと思います。

 ただ、横山さんのご意見(1349)は、様々言葉を連ねてはいるものの、
結局は、

「問題の先送り」

を主張しているに過ぎないように読めます。

横山さん<
 現実問題としてまだまだ,雇用維持のために公共事業はやめられない」

 一体何年、”まだまだ”を続けてきたことでしょう。
 この上続けるべき事を主張するのならば、ちゃんと将来展望を示すべきで
す。

 私は別に、<急激な一種の「革命」のような社会構造の変化>(葛貫さん)
等を主張した覚えはありません。
 横山さんのように、問題先送りを主張し、結果として、取り返しの付かな
い事態に陥ることを恐れるのみです。

 また、現実問題として、吉野川可動堰の様な例は極めて希で、
横山さん<
「悪即斬」で斬ってしまったら。システムが壊れてしまう

様な心配は、当面、皆無です。

 横山さんは、枝葉末節の事象や、非常に小さなリスクにとらわれて本質を
見誤ってはいないでしょうか?

-----------------------
横山さん<
 100−25=75という小学校の算数の様に出来ていないのが社会です。
 一ノ瀬さんには一般システム論を学んでみれることをお勧めします。
 一業種で25%と言うのがどれほど大きな意味があるか解るでしょう。

 同じ意味のことを、葛貫さんも指摘しておられますが、こう言うのを、枝
葉末節と言います。

 25%は大きな数字ですが、75%の方がずっと大きいことは、小学生で
もわかります。(家系における収入比率では、この半分にも満たない)
 事実、この75%部分の不調の故に、25%に(75%部分からもぎ取っ
た)カネを幾らつぎ込んでも、日本の景気回復ははかばかしくありません。

 25%部分の改革に伴う悪影響を恐れて、問題を先送りにしていれば、社
会の主要部分たる75%部分の衰弱によって、もっと悪い結果を招く事は自
明です。
 横山さんご推奨の「一般システム論」、学べというのならば学んでもいい
のですが、この最も単純明快な結論に、変更が必要になると言うのでしょう
か?

 問題は、変革のやり方なり、早さなりでしょうが、今の日本で、
「改革が急すぎて副作用が心配」になることなど、考えられません。
 横山さんは、
<その一つは
債務の問題です。生保,銀行,ときましたがゼネコンには手を着けかねて
居ます。・・・・・・しばらくはゆっくりやるしかないでしょう。

とも仰っていますが、「ゆっくり」やってどうするのでしょうか?
 これも先送りであって、先延ばししたところで、解決する目処は「余程の
こと」でもしない限りありません。

 横山さんの主張は、一見「大人の意見」を述べているようで、その実、現
状の追認を主張しているようにしか思われません。
 先送りと現状追認が生み出す結果について、もっと心配すべきだと思いま
す。


--------以下、補足----------------
横山さん< 
 先ず申し上げておきますが,公共事業の目的は社会保障だなんて誰も考え
てないと思います。
 社会に供給され,実際に流通する金の量が増えれば,結果としてホームレ
スが少なくなるだろうとは思いますが。今現在は現に流通量が減少している
ことが,我々には不景気観やホームレスとして見えているのです。

 この御発言は、1349とは、ご主旨がかなり違っているようで戸惑いを覚え
ています。
「流通する金の量が増えても、IT中心であればホームレスは救われない。
 だから、公共土木事業が必要だ。」
という意味だと理解しておりました。

一ノ瀬<<
 これに対して、社会保障で1000億円使えば、このような無駄は生じま
せん。
>>
横山さん<
 社会を潤すのはお金の存在量ではなく,流量です。途中で目減りしている
様に見えてそれが流量を増しているのです。海外への流れも日本が世界の一
員として存在する限り何ら無駄では有りません。

 私の発言は、あくまでも「公共土木事業を行わなければ、ホームレスは救
われない」という横山さんの御発言に対する反論です。
 横山さんの主張が変わっているようなので、議論がかみ合っていません。

「社会を潤すのはお金の流量」であるという意見に補足するならば、
 国民が生活の豊かさを感じるためには、国民自身の消費に伴うお金の流量
が増えなければなりません。
 また、経済が成長して行くためには、単なる消費や浪費ではなく、将来に
向けての投資に向けても、金が流れる事が必要です。

 増税によって国民の可処分所得を削り、それを、無駄な公共投資(或いは、
雇用維持を目的とした公共事業。実は、単なる浪費)に振り向けて、金の流
量を増やしたとして、それで国民が豊かになるわけでもなければ、日本経済
が成長するわけでもありません。

横山さん<
 最も困難なこと,実力以上に華美になった生活レベルを引き下げることです。

 何を華美といい、何を質素というかはっきりさせないと、意味のない言葉
になります。

 私は、車は持たない、豪華な服は一切持たない、狭い部屋では暖房すら使
ったことがない、髪の毛も自分で散髪する、アクセサリーなど論外、という、
20世紀的な意味では非常に質素な生活を送っています。が、一方、比較的
環境負荷の低い分野で、自分の趣味に応じてかなりの金を使っているので、
貧しい生活を送っているとは感じていません。この生活は、贅沢か否か?

 生活スタイルが変わってくると、国民の要求は変わってくるし、質素、華
美の基準もそれに応じて変化することになるでしょう。

 少なくとも、私の目には、雇用を維持するためだけに公共事業を行うなど、
浪費の極み、華美そのものの国のあり方と映りますが。



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