[BlueSky: 1339] ゴジラと魚道


[From] "Takashi Goto" [Date] Thu, 27 Jan 2000 00:35:44 +0900

佐川さん、みなさん

後藤@環境NPO研究会です。

佐川さんwrote:
>私の住む福島県では博覧会を企画しておりまして・・テーマが・・
>『未来博』 サブテーマが「環境」。

案を一般公募していると風の噂で聞きました。コンペでやるとか。

>博覧会自体が時代遅れなのに、さらに、「未来」をテーマにするとい
>う発想・・・サブテーマが「環境」でありながら、会場予定地周辺には、
>オオタカとハイタカ、ハヤブサが、生息している・・

今小さくてもアクションを起こせば、かならずツブセます。吉野川の勢いと
愛知万博への不信が消えてしまわないうちに。
それにしてもミレニアムの今「博覧会」だなんて、日本人ってなんでこう
いつまでたっても精神的後進国(おっと放送禁止用語)なんでしょうか。

話は違いますが、一ノ瀬さんが堰の問題を戦争や兵器に例えていました。
過激なことを、と感じた方も多いと思いますが、ぼくの考えも彼とちょっと似
てます。
つまり、今の日本の公共事業を見ていると、もうとてつもなく破壊的とい
う意味で「原水爆」や「サリン」などと同じように思えてくるんですね。

例えば「魚道」という考え方がある。堰などを建造するとどうしても魚とか
が遡上する道をふさぐから、それを避けるためにお魚のための通路を確保
する施行方法で、ドイツなどでは「多自然型魚道」とかいって盛んに行わ
れているそうです。
第十堰はまさに「全面魚道」的な役割をも果たしているという点で、単なる
堰の域を越えた人工自然物としての価値も高いらしいです。

でも、ここに「可動堰」とかいう巨大な鉄とコンクリートの玩具をドンと置かれ
ると、「魚道」とか「せせらぎ」とか「カゲロウ」とかいった小さな、しかし偉大
な営みが、有無を言わさず否定され、蹂躙されるように感じるのです。
そこにぼくは理屈抜きの反感を持ってしまう。もしかなうことなら、諫早にゴ
ジラが現れてあのギロチンを噛み砕いてくれたらなぁ、なんて真剣に考え
てしまいます。もともとゴジラとかってそういうコンセプトだったような。人間の
文明のもろさを証明する存在としての絶対的な「力」がゴジラですよね。

そもそも「堰」を造るから「魚道」を確保してあげるというのは人間の傲慢さ
であって、魚やトビケラが住んでいるところをこっちの良いように貸してもらう
代わりに、もともとお住まいの皆さんの生活を最大限、またはそれ以上保障
するのは至極当然なこと。それができないのは、自然または生命を軽んじて
いるからにほかならない・・・あっ、いかん。年始の少子化議論が再燃しそう
なのでこの辺にします。

ではまた。

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後 藤   隆 [ Takashi Goto ]
[mailto:takapi-@sf6.so-net.ne.jp]
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