[BlueSky: 1238] Re:1237 少子化問題・人口減少問題


[From] can32960@pop07.odn.ne.jp (yuichiro) [Date] Mon, 10 Jan 2000 07:10:25 +0900

水野さん、こんにちは。小宮です。いろいろと御指摘ありがとうございます。
とりあえず僕の分に関してだけ質問に答えます。

>小宮さん:
>>しかし、昨今のニュース等見ていると、本当に日本人の他人への共感能力、
>>というものは低下してきたのではないか、と思わざるをえません(もちろん
>>全体的な傾向ではないのかもしれませんが)。なぜなんでしょうね。インター
>>ネットの普及で幅広い情報が簡単に得られるようになったおかげで、個人同士
>>の人間関係から情報を得る必要がなくなって、その能力が退化してしまって
>>いるんじゃないか、なんて考えたりしました。そうであれば、インターネット
>>という素晴らしいメディアも、思わぬ諸刃の剣になっているのかもしれません
>>ね。
>
>これも、また、意味不明な(と私には思われる)問題の混同があるように見えます
>(という言い方は、なまいきな感じで、とてもよくないですが、すいません)。
>
>つまり、「日本人の他人への共感能力の低下」と、
>「最近のインターネットの普及で幅広い情報が簡単に得られるようになったこと」
>とが、論理的、社会的に、因果関係にある、というご指摘なわけですが、
>とてもそうだとは思えないのです。
>
>例えば、ですが、「昨今のニュース等見ていると、本当に日本人の他人への
>共感能力というものは低下し」てきた、ということを認めると、そのような
>社会現象において、インターネットを使っている人と、そうでない人とで、
>共感能力に社会的に有意の差がある、ということが、予想されると思いますが、
>それでいいでしょうか?
>
>極端に言えば、そういうニュースになった人達は、インターネットの利用者
>だった、ということでしょうか?
>
>それとも、そういう推論は間違いでしょうか?

すみません、これは僕の言い方が悪かったと思います。「インターネット」と
メディアを限定してしまったので本意が伝わりませんでした。僕がいいたかった
のは、先進国においてはインターネットに限らず、テレビその他様々な通信機器、
メディアの発達のおかげで、人間が情報過多状態になってしまっているのでは
ないか?ということです。例えば、カラハリ砂漠に住むブッシュマンの社会等に
おいては社会への順応のために、個人間の密なコミュニケーションが見られる
そうです。キャンプの火の周りで人々は語り合い、意見を交わしあって社会的な
生存に必要なための情報を得る。そこでは、どうしても他人を理解する、相手に
共感する、といった能力が情報収集のために必要不可欠名ものになってくると
思います。ブッシュマン社会は極端な例かもしれませんが、昔の日本のような
小さなコミュニティを生活基板としていた社会システムも似たようなものでは
ないでしょうか。しかし、今の先進国のような、情報過多の社会システムにお
いては、他人を理解する、といったことが生存のための情報を得るために必要
ではなくなっているのではないか、ということです。黙っていても、チャンネル
を変えるかマウスをクリックすれば膨大な情報が得られるのですから。

また、インターネットに関していえば、様々な人が簡単にコミュニケーション
を行なえるようになった一方で、そのコミュニケーションが希薄化してしまって
いる例もあるのではないか、相手の理解、というよりは自己主張等のコミュニ
ケーションが主体になっている例もあるのではないか、ということです。もっと
具体的に言うと、インターネット利用によって共感能力を高める人と、その能力
を失っていく人と二分化してしまっている傾向にあるのではないか…と。

まあ、しかしあまり深く考えたことではなく、単なる思いつきなので、いろいろ
ぼろがあると思います。またなにかあったら御指摘下さい。


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