[BlueSky: 1237] Re:1236 少子化問題・人口減少問題


[From] ymizuno@yo.rim.or.jp (水野義之 Y.Mizuno) [Date] Mon, 10 Jan 2000 02:43:41 +0900

水野@京都女子大です。 おもしろい議論になっていると
思いますが、残念ながら、よくわからないところがあるので、
教えてください。

特に、以下のご指摘において、理解できない点があるので、教えて
下さい。

>葛貫さんwrote;
>>「人間の子育てには周囲の協力が必要 で、それを得るために、
>>母親は何らかの「取り引き」あるいは「妥協」を必要とする。
>>この支援のシステムが崩壊すると、 親身になって世話をして
>>くれる人がいなくなり、子供の発達が阻害され、自己中心的に
>>なったり、他人の立場になってものを考えられなくなる可能性
>>がある。極端なケースでは、他人に共感することがまったくで
>>きない子になる。 人が生まれながらにして共感を育む能力を
>>持つとしても、その能力が花開かないとしたら、この形質は
>>子孫に受け継がれない。 相手に共感するという人間特有の
>>感情を失うと、いま私たちが考えている人間とは違う生き物に
>>なってしまうだろう。 」というような内容でした。

子育て支援システムを得るために母親に必要とされる
「取り引き」あるいは「妥協」、とは、具体的には、どのような
ものなのでしょうか?


次に、わからないことは:

>後藤さんwrote;
>>隣近所が助け合い、共同して子育てする、という状況が戦後どんどん希
>>薄化してきて、狭いマイホーム、マンションの内と外の隔たりが極めて
>>大きくなってきたように思います。
>>
>>しかし、個の「自由と責任」が推進された、というよりは、個の「勝手
>>と無責任」が増長されただけ、のようでもあります。それはまた同時に、
>>「共感」喪失への道でもあり、「孤立化」「自閉症化」への道でもあっ
>>たようです。

ここでは、論理的に異なる(無関係な)問題が同時に(因果関係
があるかのように)語られているように見えますので、質問させてください。

1)「助け合い、共同して子育てする、という状況が戦後どんどん希
薄化してきた」という原因は、何であるとお考えでしょうか?

2)個の「自由と責任」の推進は、上記の原因となっていることの結果
なのでしょうか? それとも、別のことの、結果なのでしょうか?

いえ、別に、私は、無意味な(自分の主張を言うためだけの)論争を
するつもりは、まったくありません。

きちんと論理的に考えたい(情緒的、感覚的にではなく)と思うだけで、
答えがご面倒であれば、無視してくださって結構です。

ちなみに、私は、これらの点についてどう考えるから質問をしているか、
ということを述べます。

まず、上記1)については、戦後の日本社会が選択してきた、産業
復興優先の、戦後経済政策の結果、(労働人口の移動が大規模に起こり
地域社会の構造が、完全に破壊されてしまったわけですが、その結果)
であると考えているのですが... 。

また、上記2)は、経済政策とは無関係に(しかし、時期的には同時に
日本社会が選択することとなった)、戦後社会の「民主化」、具体的には、
民法改正により、上の世代の権限が弱まったこと(家父長的な家制度の破壊
が行われたのですが、このこともご存じかと思いますが)、また、これも
同時に起こったことだったわけですが、第2次世界大戦に参加した当時の
親の世代(今の70才台から上の世代ですね)が、(戦前の国家主義的、
ナショナリズム優先主義から、アメリカ流のいわゆる民主主義社会へ、
という)マクロな意味での社会的な価値観の巨大な転換に、自信を失い、
社会的な発言を控えざるをえなかった(語ることが社会的にできなくなった)
という事態が、長く続いたことの、結果であると考えているのですが...。
つまり社会的な規範(あるいは、ロールモデル)の喪失、あるいはもっと
いうと、社会的な規範の重要性が理解されなくなってきた、発揮が
困難という状態が継続した(それに置き換わったのが、価値の相対化
といったらいいのか)ですね。


小宮さん:
>しかし、昨今のニュース等見ていると、本当に日本人の他人への共感能力、
>というものは低下してきたのではないか、と思わざるをえません(もちろん
>全体的な傾向ではないのかもしれませんが)。なぜなんでしょうね。インター
>ネットの普及で幅広い情報が簡単に得られるようになったおかげで、個人同士
>の人間関係から情報を得る必要がなくなって、その能力が退化してしまって
>いるんじゃないか、なんて考えたりしました。そうであれば、インターネット
>という素晴らしいメディアも、思わぬ諸刃の剣になっているのかもしれません
>ね。

これも、また、意味不明な(と私には思われる)問題の混同があるように見えます
(という言い方は、なまいきな感じで、とてもよくないですが、すいません)。

つまり、「日本人の他人への共感能力の低下」と、
「最近のインターネットの普及で幅広い情報が簡単に得られるようになったこと」
とが、論理的、社会的に、因果関係にある、というご指摘なわけですが、
とてもそうだとは思えないのです。

例えば、ですが、「昨今のニュース等見ていると、本当に日本人の他人への
共感能力というものは低下し」てきた、ということを認めると、そのような
社会現象において、インターネットを使っている人と、そうでない人とで、
共感能力に社会的に有意の差がある、ということが、予想されると思いますが、
それでいいでしょうか?

極端に言えば、そういうニュースになった人達は、インターネットの利用者
だった、ということでしょうか?

それとも、そういう推論は間違いでしょうか?

だとすると、ご指摘の点を検証するには、どういう現象をチェックすればいいと
お考えでしょうか? ヒントをいただけると、うれしいです。





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Yoshiyuki MIZUNO 水野 義之(大阪府 茨木市) ymizuno@yo.rim.or.jp
Office: 京都女子大学 "現代社会学部" http://www.cs.kyoto-wu.ac.jp/
mizuno@kyoto-wu.ac.jp Tel&fax: 075-531-7104 fax: 075-531-7102
 


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