一ノ瀬(尼崎市)です。
伊藤さん<
知識に対して免許(権限)を与えるのでは無く、
責任を負う意志に対して免許を与えるべきなのです。
しかし困った事に意志を外部的にかつ明確に確認する手段が無いのです。
>
この部分、私には理解し難いものがあります。
責任を負うべき人or組織が、正確な判断を下せるだけの知識を持つこと
は、絶対に必要です。
その上で、意志の有無が問題になると思います。
いささか極端な例えですが、太平洋戦争を開始した日本の指導者達を
考えてみて下さい。
彼らは、ある程度の責任を負う意志は有ったようです(この点につい
ても、異論はあるかも知れませんが)。
しかし、なにより、下した判断が致命的に誤っていた。
こういうミスをやってもらっては、エネルギー問題に限らず、困るわ
けです。
意志について言えば、確認できた方が好ましいには違いありませんが、
どのみち実現不可能なことです。
不可能な事を願うのではなく、実行可能な方法で現実的に対処すべき
です。
通常は、
1)第三者機関による監視
2)競争関係(安全基準を満足しなければ、事業を続けられなくなる)
3)従業員による内部監視
の三つの手法によって、責任を負わざるを得ない状況を作り出して、
”意志”の代わりにしているようですが、少なくともJCOについては、
三つ共に機能していなかったと思います。
原子力発電については、この三つを如何にして機能させるか。
他の産業・技術分野については、その機能を如何にして保証するか。
が「技術の社会的管理」の課題だと考えています。
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