[BlueSky: 118] Re:103 Re84, 90 Re60:議論の3つの水準


[From] "Kaz. Yokoyama" [Date] Fri, 16 Jul 1999 16:52:33 +0900

小宮さん,MLの皆様

横山@農環研です。

>僕自身の感想でいえば、このような自然環境に関わる土地利用の問題に
>おいては、まずは倫理的問題を第一に考えるべきであって、人間に利益を
>もたらすかどうかというものを論理やデータによって推し量るべきでは
>ないと思います(ここで使っている「倫理」という言葉は、人間の幸福追求
>の為、というながみつさんが[90]で使われている広い意味ではなく、
>もっと狭い、人が道徳的に生きる道、という意味です)。
(後略)

ご意見は全く尤もですが,倫理や道徳を根拠にするのは困難でしょう。
倫理も道徳も極めて個人的なものでしょう。特に環境に対しては,
人によって立場によって大きく違うと思います。
それに元々多くの人間はそんなに倫理的でも道徳的でもなく生活して
います。倫理的でも道徳的でもない人に倫理や道徳で説得できるでしょうか?
生活がかかってると言われたらそれまででしょう。

意図は分かりますが,そこは押さえてあくまで客観的なデータを示して
議論する必要があるでしょう。

>例えば、先の例では、倫理的規制のない(2),(3)の場合では、研究者が
>機能面、利便性の面で、道路用地や下水処理場建設に伴う莫大な利益を
>データとして提出すれば、やはり干潟を埋め立てたほうがいい、という
>ことになってしまいます。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?
>単にアサリの浄化能力よりも人工の下水処理場の方が勝っている、という
>データのみで干潟を埋め立てるべきなのでしょうか?

そう言う場合に備えて[BlueSky:61]複雑学では

 環境やエネルギーなど人間の存在を支える必須の資源について考える場合,
 時間軸に直交する方向,つまりその時にどれだけ仕事をしたかではなく,
 時間軸にそった方向,その仕事をどれだけ長く持続させられるかで考えてみる
 必要があると思います。

と申し上げました。
道路や下水処理場は単位時間当たりの経済価値は高くとも,その価値を維持する
ことが極めて困難でコストがかかります。干潟の生物に仕事をしてもらう方が遙かに
安上がりで持続的です。これからは技術の持続性あるいは自律性つまり長期間に
わたるコスト計算が説得力を持つと考えます。

Kazunari Yokoyama, Ph.D.
Soil Microbial Ecology Lab.
National Institute of Agro-Environmental Sciences, Japan
Phone:+81-298-38-8300
Fax:+81-298-38-8199


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