[BlueSky: 107] Re:103 Re84, 90 Re60:議論の3つの水準


[From] Minato Nakazawa [Date] Fri, 16 Jul 1999 09:55:40 +0900

中澤@東京大学人類生態です。

[60]にいろいろコメントいただいてありがとうございます。
ぼく自身の捉え方としては,[84]での後藤さんのまとめに
近かったのですが,たしかに,あの例についてはいろいろな
捉え方ができますね。これは,ぼくにとって発見でした。

小宮さん,こんにちは。
> 例えば、先の例では、倫理的規制のない(2),(3)の場合では、研究者が
> 機能面、利便性の面で、道路用地や下水処理場建設に伴う莫大な利益を
> データとして提出すれば、やはり干潟を埋め立てたほうがいい、という
> ことになってしまいます。しかし、本当にそれでいいのでしょうか?
> 単にアサリの浄化能力よりも人工の下水処理場の方が勝っている、という
> データのみで干潟を埋め立てるべきなのでしょうか?
それは,そういうデータのみでは埋め立てるべきではない,と思います。
元記事[60]でぼくがいいたかったことは,そうではなくて,(3)の水準
でなら,経済優先という相手側(開発側)の判断基準をもってすら埋め立て
は合理性を失うということです。

(3)で勝てなくても(2)で摺り合わせをするのは必須です。(1)から
(3)は並立する相補的なものと思っています。また,(3)で使われる
判断基準は1つとは限りません。ながみねさんが[90]で指摘されたように,
共通の尺度でありさえすればいいのです。ぼくが[60]で出した例では
たまたま経済を取り上げただけです。

> 持つことが第一で、それから[92]で後藤さんが言われているように
> 「複合的自然能力を一つ一つ発見」、又、自然破壊によりもたらされる
> 弊害を発見し、その知識を正しく世間一般に広めることが大事だと思い
> ます。
これを(3)の水準で行うことも,また可能です。何も経済優先を
判断基準にしなくても客観的比較は可能だということです。例えば,
住民の身体的健康状態,精神的健康状態(質問紙やインタビュー
による方法もあれば,ストレス関連ホルモンの測定による方法もあり
ます),住民がどの程度自然を望んでいるかというデータをとるとか。
こういうことについてのデータを取るのは研究者の仕事と思います。

その意味で,研究者が研究面で貢献できるのは(3)の水準だという
ながみねさんのご意見に賛成です。

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Minato Nakazawa, Ph.D. <minato@sv3.humeco.m.u-tokyo.ac.jp>
Department of Human Ecology, Univ. Tokyo


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