[BlueSky: 1009] Re:1006 環境社会学会


[From] seki [Date] Wed, 13 Oct 1999 04:27:02 +0900

溝内さん、みなさんへ

> 昭和堂の講座人間と環境第12巻の「環境の豊かさを求めて」に関さんの論文が二編載っていま
> す。地域民にとって当たり前の自然の価値を評価すべきであるとい言うように読みました。

お読みいただき、ありがとうございます。

> 私自身が解釈した寺田さんの主張に近いと思いますけど如何でしょうか?
> また多分青山さんと寺田さんの見解の相違は、まずは科学的なところで勝負すべきという技術系思
> 考と、それはそうとして(科学的なデータの重要性は認めつつも科学は恣意的でもあるから寧ろ)
> 定性的な言語化できないような区域民の思いをどう定量的に評価すべきかを重視すべきでそれは徹
> 底的な話し合いしかないだろうというような思考の違いだったように思いました。寺田氏曰く、定
> 量的なデータであれば規制してしまえば良いということになりますから、アセスはアワスメント化
> してしまう。従来アセスはまさしく数式で勝負でしたから。

事業主体と運動側では、はじめに持っている「資源」(この言葉はあまり好きで
はないのですが)が違います。ヒト、カネ、情報などです。科学的データは確か
に重要ですが、すべての運動が「良心的科学者」「良心的なシンクタンク」に恵
まれるとは限りません。「科学的なるもの」は、普通に暮らす人々にとって、遠
いところにあるわけです。
しかし、数式や科学的な言語世界にうとくても、住民には住民の科学がありま
す。闘うシンクタンク・青山さんの調査結果は、住民が暮らしの中で既に知って
いた事柄を、科学の手法で明らかにしたもの、と、理解しております。
私としては、環境庁・寺田さんの述べたような定量化できない環境価値ととも
に、住民が有している「日常智」の世界にあるローカルな環境に対するまなざし
の「科学性」も大切ではないかと思っています。

アセスメントでは、ここにいると示されなかった鳥がいた。冬の渡り鳥で、住民
はみんな知っていたが、アセスの調査は夏しかおこなわれていなかった。そんな
笑い話を聞いたことがあります。でも、その夏だけの調査も、やはり、その範囲
においては正しいわけですよね。アワセメントも、そんなもののひとつかもしれ
ません。

(メールまめではない)帯広・関でした。


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