みなさん、こんばんは。
後藤@帯畜大です。
先ほどのメール
研究者の存在価値Re91, Re84, 90 Re60:議論の3つの水準
のつづきです。
ながみつさん【91】:
> 倫理的規制あり
> (1)特定の機能を利用する方法が倫理的にきまる場合
>
> 倫理的規制なし
> (2)複数の機能を利用するそれぞれの方法を関係者の自由意志で選択する場合
> (3)特定の機能を利用するいくつかの方法を関係者の自由意志で選択する場合
>
> という定式化(再掲)をした理由は、
> このようなシチュエイションを場合わけして、
> それぞれの場合に、研究者に何ができるかをかんがえたかったからです。
> (3)の場合に研究者は貢献できるが、
> (1)と(2)の場合は、研究者はおよびでない、
> という状況が中沢さん[60]の例からよみとれます。
> 私が、「共通の尺度」にこだわるのは、
> 全関係者がうけいれざるをえない共通の尺度:すなわち科学的評価や客観的データ
> を提供するのが研究者の仕事だからです。
>
> 倫理的規制とは、関さんがいわれる「マナー」が関係者の行動を制約することです。
> 関係者のふるまいかたをきめるという意味で、規制といってます。
細かい点に拘るようで恐縮ですが、「ふるまいかたをきめる」ということと、
「行動を制約する」とは、意味が決定的にことなります。
決めているものは「原因」です。制約、規制は「原因」の一部です。
国語大辞典(新装版)小学館 1988.によれば、
倫理:人のふみ行うべき道。人間関係や秩序を保持する道徳。
となります。
ながみつさん【91】:
> 「より収益をあげる林業経営が進歩なのだ(経済成長神話林業版)」とか
> 「たくさん木材を生産することが社会の幸福なのだ(物的幸福神話林業版)」
> といった観念も、立派な倫理感だと私はおもっています。
そうですね。「社会の幸福」に重点を置くと、社会のために***すべき、とい
う制約力(倫理)が効いてきますね。
ながみつさん【91】:
> 昭和30年代は、「木材増産」という倫理感に林野関係者がそまり、
> なんのうたがいもなく(つまり紛争もなく)拡大造林がすすんだわけです。
> 疑問をもつ人もいたでしょうが、
> 実際に行動をおこせなかったという意味で倫理的規制がはたらいていました。
>
> もちろん今では、「自然保護」という倫理がひろまっていますので、
> ブナ天然林をきってスギ人工林にする林業家は白い目でみられます。
> この林業家が白い目にまける(あるいはみずから改心する)と倫理的規制が成立します
> 。
わが国の森林は、林業と農業が育成してきたという理解は間違っているのですか?
また、国内林業の軽視が、東南アジアの熱帯雨林破壊に寄与してきた、と思って
きたのですが、これも間違いですか?
後藤 健
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