[BlueSky: 92] 研究者の存在価値


[From] Ken Goto [Date] Wed, 14 Jul 1999 17:34:23 +0900

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後藤@帯畜大です。

ながみつさん【91】:
> [60]の3つの水準の解釈にはいろいろあるんだなと感心しました。
> ほかの見方もあるかもしれないので、いろんな方のご意見をうかがいたいです。
>
> ですが、話が拡散しそ〜ですね。

ここは議論のあり方として重要なポイントですね。
環境問題のような「複雑学?」では、いったん、話を発散させることが極めて重
要なのではないかと思います(もちろん、同時に、「絞った」話も有益ですが)。
それぞれの職分(身分)や地位、あるいは分野に応じて、価値観なり、論点・視
点なり、感想なりが異なる部分が多々あるのだと思います。そうしたものを、一
度、噴出させて、、、各人の思い描いていた「世界」がどんなにか狭いものであっ
たのか。それを自覚することができるだけでも素晴らしいことだと、僕は思いま
す。その異質で多様なものごとを、一つにまとめられるような「なにか」が見つ
けられれば、もうなにも言うことはない、ということなのでしょう。

ながみつさん【91】:
> 私は、つぎのような問題に関心があり、その問題に的をしぼりたいとおもいます。
> その問題とは、
>
> 「土地利用についてその土地の関係者が合意するために、研究者は貢献できるか」
>
> です。研究者でない方、もうしわけありません。
> (都市住民・企業雇用者・主婦は貢献できるか?などのバージョンもありますが)

予めお断りしておきますが、僕自身は、「土地利用」に関係する「研究者」では
ありません。一介の「生物リズム研究者」「細胞生物学研究者」です。しかし、
「科学とはなにか」「研究者とはどのような人物か」という点に関しては、一つ
の見識をもちうる立場にいます。

ながみつさん【91】:
> たとえば、後藤さんの「vs型」の定式化だと、
> ことなる主義や価値にもとづいた2つの利用法が対立しています。
> つまり、土地利用の意志決定で紛争がおこっています。
> この紛争を解決し、関係者が合意するために、研究者に何ができるでしょうか:
> というかなり具体的問題が私の関心事です。
>
> 人間中心の文明的な人工能力による利用法に対抗する「つよい」論理とデータを
> 非人間中心で文化的自然の自然能力による利用法に提供して、
> 一挙に紛争を解決し、関係者を合意にみちびくことができるでしょうか。

後藤【84】:
> 以上、列挙しておくと、、、
> (1)(いわゆる)非人間中心主義 対 人間中心主義 
> (2)文化的自然 対 「文明的」利便性(利用価値)
> (3)同一の目標を達成する際の、自然能力 対 人工能力 の対立。

ながみつさんの、ここでの問いかけは(1)と(2)に関係したことですね。
僕が(2)に関して【84】で述べたことは、文化的自然の価値には、利便性と
いう価値以上のものが含まれているので、単純な比較はできない、ということで
した。

ここは、横山和尚【19】の言葉を借りれば、
> 確かに,産業革命以来,科学技術は人々に「不可能を可能にする」夢を与
> えてきました。
> しかし,21世紀の科学技術は「不可能なことを不可能であると知る」た
> めに用いられるべきだと考えています。その上での人類の持続的生存の可
> 能性を追求することに科学的英知を用いるべきであることをもっと知るべ
> きです。今こそ豊かさの意味を問い直すべきです
ということになるでしょうか。科学で言えば、ソクラテスの無知の知。
複雑学を待つまでもなく、人間の知的能力(ないしは予測力)には限界がありま
す。例えば、どんなに科学が進歩しても、生物進化の具体的な道筋は、誰にも予
測できません。どの男(個人)とどの女(個人)がカップルになるかだって予測
できません。

以上、まえおきです。
さて、では、ながみつさんの関心事である、(2)での合意形成に「研究」がど
のように寄与できるか、という問題を考えてみます。

(2)の文化的自然がもつ価値は、第一に、総体としてはかり知れない、という
前提をおいています(例えば、潜在価値を含んでいるから)。したがって、科学
的基準では、文化的自然と利便性は、比較できません。

もちろん、(2)の文化的自然がもつ価値には、
>(3)同一の目標を達成する際の、自然能力 対 人工能力 の対立。
という基準での「測れる」能力が含まれています。

言い換えると、(2)の文化的自然は、既知・未知を含め、人間にとって有り難
い、さまざまな「自然能力」の複合である、と言えるでしょう。

   例えば、人間感性にとっての安らぎを与える場(ストレス緩和能力)など
   もそのような複合的自然能力の一部でしょうし、子どもの美的・知的能力
   を育てる能力も見逃せません。ターザンごっこが手軽にできるかどうか
   (知的面だけでも三次元的能力の養成になるでしょう)。

そうすると、この意味での研究者の役割とは、複合的自然能力を一つ一つ発見し
ていく作業である、ということができます。そうして明らかにされた部分だけで
の複合的自然能力の価値の総体と、利便的価値を比較することになるわけですが、、、
利便的価値を標榜する側の人々にとっては、利便性が最優先的価値となっている
わけですから、、、(妥協はできるとしても)合意はできない。

尤も、複合的自然能力の具体像が明らかになればなるほど、、、利便性追求者も、
う〜ん、と唸ることはあるかもしれません。

以上、僕自身が「合意形成」の具体的現場に居合わせた経験がないので、ながみ
つさんの問題関心とずれているかもしれませんが、環境問題関連の研究者に僕が
期待すること、という観点で考えてみました。


後藤 健
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生命を考える http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612


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