[BlueSky: 900] Re:899 ,885 還元論、生命倫理


[From] Ken Goto [Date] Mon, 13 Sep 1999 20:10:54 +0900

広木さん、飯田さん、長峰さん、青空MLの皆さん。
                    後藤@帯畜大です。

クローン人間と還元論、経済的資源への還元、等々、お答えしなくては
ならないことがいっぱい出て来てしまいましたが、時間的余裕が今、あ
まりないので、3,4日お待ちください。

ちょっと気づいた点のみ、お答えします。

まず、より古くから使われている認識方法として「分析と総合」があり
ます。この分析と「還元」とは、内容が異なると思います。

生命の一現象として遺伝子の構造と機能を分析することを、還元とは言
わない、ということです。
でも、利己的遺伝子論は生命を利己的遺伝子に還元する見地ですね。

生命を理解するためには、少なくとも、生命のしくみ(メカニズム)と、
そのしくみが進化するにいたった歴史的要因の二つを理解する必要があ
ります。利己的遺伝子「論」は、生命の「進化的要因」を理解するとい
う点では重要ですが、生命のしくみ(メカニズム)に対する理解におい
ては無力です。しかし、利己的遺伝子「論」は、少なくともその啓蒙段
階では、「生命は利己的遺伝子の乗り物」という表現に端的に象徴され
るように、「生命のすべて」を説明できる理論として普及されていると
思います。

自然を経済的資源と等価におく作用も、同じ意味で「還元」と言えると
思います。

僕の捉え方では、全体を一部の部分、またはその線形的な結合に置き換
えることが「還元」です。全体から一部を切り出し(抽出し)、、、と
いう方法は「分析」です。この分析結果を総合する段階で、「本質」的
な部分であれそうでない部分であれを「全体」とするか、その線形的結
合を「全体」とする立場を、還元論といっていることになります。

それは、真実の側から見れば、当然、詐欺であり、「臭いものに蓋」で
あるわけです。

飯田さん【899】:
> 私も広木さん同様、還元主義者ではないつもりですが、

であるならば、

> からも、人間が何かを理解し、その情報を共有しようとする限り、還元
> の試行は阻めるものではないと思います。還元することへの批判は、還
> 元の仕方への監視に替えられた方が建設的と思います。

のような、還元を擁護する言明、つまり還元主義の立場の表明にはなら
ないわけです。

> 科学も一種の還元だと思っています。物や現象をより単純なものに還元し、
科学にとって単純化はエッセンシャルな作用ですが、それは単なる「分
析」であって、還元ではない、と思います。言い換えると、単純化して
いること、条件を理想化していること、といった限定条件下での「振る
舞い」であることを科学者は自覚しています。この自覚を喪失した時、
科学者は還元論者になるのでしょう。

・・・もちろん、素朴な原子論者(今、どれだけいるか知りませんが)
は、最初から、原子の振る舞いを知れば、生命の振る舞いを理解
できる、と信じている生来の還元論者です。

原子ー分子ー細胞ー個体ー個体群・・・という様々な階層(次元)
毎に固有な法則性を認めず、例えば、個体現象を細胞現象の単純
和(線形的結合)で理解できる、という科学(学問)における独
特の立場を還元論、というのだと僕は思っているわけです。いわ
ゆる物理帝国主義の路線上のものです。

ですから、科学も一種の還元だ、というのは、僕の還元定義からすると
暴論であるわけです。

・・・ただし、飯田さんの場合には(広木さんも?)、↑に引用の三つ
がお互いに矛盾しているようです。恐らく、冒頭の部分だけは、
「僕の定義による還元」で、あとの二つは「分析」と同義に用い
ているのでしょう。

おっと、、、早めに切り上げる予定が、既に大分長くなって来てしまい
ました。

もう一つ、人為とはなにか、について。

人間行為がすべて人為であることは字義上明らかですが、「人為」とい
う言葉の意味には少なくとも二つを区別する必要があるか、と思います。
一つはプライベートな行為としての人為、いわば、個人責任を負う義務
をもつ人為です。もう一つは、社会制度的人為です。医療活動などはこ
れですね。クローン人間作成も、社会的投資を経て実現される人為です。
技術的な行為はすべてこうした社会制度的人為で、社会全体の責務が問
われます。

・・・人為という言葉には小賢しいとか不自然なという響きがあります
ね。でも、今はただ字義だけに依拠しています。

男女の生殖行為は人為に違いありませんが、全く私的な責任しか負わぬ
行為ですね。クローン人間作成は、そういう訳には到底いきません。

序でに。クローンこどもの人権について。う〜ん、結局、すべてお答え
することになるのかなぁ。

長峰さん【898】:
> 後藤さんはクローンこどもには受け継ぐ遺伝子を選択できないのに対し、
> クローン親はそれができるから人権侵害だと言われていますが、
クローンこどもの側から観ると、明らかに「自然な肉親」が完全に欠如
していますが、これは基本的人権の侵害以上のものだ、と思うわけです。
クローンこどもの場合には、超人為性(=天文学的偶然)の契機も奪わ
れていますね。また、技術的な生産としての誕生=モノへの転落=他者
にとっての代替可能性、という側面も持ちます。あのページでは、もっ
といろいろ書いておきましたけど。

> 1. なぜこの遺伝子を選んだのだと文句を言う側であるクローンこども
> は、その遺伝子を選択されない限り生まれないのだから、それは単なる
> 自己矛盾でしかない。普通に生まれたこどもが、なぜお母さんはもっと
> 足の長い人と結婚しなかったの?と聞くようなものではないのか?

ははは。それ(後者)は、人間は人間を許すからです。男女がどのよう
な巡り合いをするか、それは基本的に偶然です。その部分について、と
やかく言ってもしょうがないでしょう。

しかし、前者の場合。「その遺伝子である」ということにいたるプロセ
スはすべて必然性で、決定論的です。クローン親の意志一つで決まって
しまう。クローン親に制御できない部分はなかった、ということですね。
(卵子のミトコンドリア遺伝子も、そのうち制御できるようになるかも
しれませんね)。

> 2. 養子をもらう場合に、そのこどもを選ぶのと差がないのではないか?
クローン親が、広範な範囲から「核ドナー(もうひとりのクローン親)」
を選抜できる場合と、例えば、三親等の範囲で、というような制限付き
の場合とでは事情が違うかもしれませんね。

また、「核ドナー」を選抜する場合には、「核ドナー」の年齢も選べま
すね(もちろん、提供細胞株は若い時にとってある)。

さて、何に差があるのか、という点ですが。
上述1でも述べた通りです。

養子にもいろいろな場合があって一概に言えないですが、「親」が「好
ましいと思うのを選ぶ」という点では等しいですね。ただ、養子の親は、
「好ましいと思うのを」受け入れますが、クローン親は「作り出します」。

> 3. 亡くなった自分のこどものクローンを作る場合、クローン親は遺伝
> 子を選択していないのではないか?
えっと、これは最悪のケースですね。亡くなった子供のためには、供養
が一番大切で。その代替品を作り出すのは最も忌むべき行為になるでしょ
う。

さて、これがどうして選択したことにならないのでしょうか?数ある候
補の中から、亡くなった子を選択したのでしょう?

或いは、亡くなった子を核ドナーにしなければならない、という社会的
規制を作れば、、、という意味なのでしょうか?

以上、取急ぎ(?)、失礼します。


後藤 健
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帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612

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