[BlueSky: 90] Re:84 もうひとつのまとめの試み Re: [BlueSky: 81] Re60:議論の3つの水準


[From] seki [Date] Tue, 13 Jul 1999 14:28:35 +0900

おはようございます。関です。

>
> > 私は、楽観的に、そういう尺度はあるとおもっています。私たちの日常生活は、とても
> > 比較できそうにない物や機能に、たえずそういう尺度づけをしてはじめてなりたってる
> > といえます。
> > だって、私の1時間の労働と、1kgの豚肉と、1本の映画鑑賞と、1週間分のガソリ
> > ンにおなじ価値をつけ、実際にそれらをいろんな人と交換して日常生活おくっているん
> > ですから。
>
> ま、お挙げになられた例は、すべて金におきかえられますからね。
>
> > そういう尺度づくりに、生物学が貢献できるのか、あるいは、経済学でことたりてしま
> > うのか。あるいは、一歩さがって、私たちがしばられている倫理的規制(経済成長神話
> > 、物的幸福神話)をあばき、「ただしい」環境倫理で洗脳すればいいのか。う〜ん。

というお話でした。
交換価値は等しいということですね。でも、使用価値はそれぞれに異なります。
私の1時間のボランティア労働は、充実とか、達成感とか、メンタルなものを得
ることはできますが、また、具体的に人間関係を密にするというメリットはあり
ますが、何とも交換してもらえない。
交換できないものを交換する尺度(一律の)があるのか、疑問です。交換できな
いもので成り立っているのも私たちの日常ですよね。
あるいは、交換できないと言うのは、現時点での話であって、親から受けた恩は
子に返す、というようなタイム・スパンでは、収支決算があうのかな。世代間倫
理とか。

ところで、環境倫理に「正しい」とか「間違っている」というのはあるのでしょ
うか。この土地にはこの土地のお作法:マナー:倫理観があるように、隣の国に
は隣の・・・。環境倫理も、近代に生まれた、ローカルな倫理であって、時代的
かつ社会的拘束の中でのみ、「正しい」ように思われたり、「間違っている」よ
うに思われたりするのではないかしらん。

ここでは、まともに暮らしていない私ですが、週末は畑にこっています。作るこ
とではなく、食べることですが。人参の葉っぱをおいしく食べる方法とか。


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