[BlueSky: 879] Re:875 「人間中心思考の排除」の考え


[From] kitapp@elf.coara.or.jp (Katsumi) [Date] Sat, 11 Sep 1999 22:39:54 +0900


> > GENGOROUさんのおっしゃる事と少し違うかも知れませんが,
> > 私も「心眼」の様な物を体験した事があります。
> 実は、美術の世界での「心」を喜多さんに、お聞きしたいなあと
> 考えながら、将棋や武道の世界での「心眼」を書いていました。
> というのは、私は、まったく絵が苦手です。

こんにちわ,GENGOROUさん,私は小学校の時,運動会の綱引き
の綱を肩に担いで引っぱっているように描いて,友達から「こんな
引っぱり方,あるかいな」と言われ,全く苦手となり,非常に落ち
込みました。中学に入った夏休みに,近所の絵の好きな兄さんに
「絵は誰でも描ける」と言われ,自分で果物やウイスキー(私の家は
誰も飲まないのに何故かニッカのダルマの様な瓶がありました)の瓶を,
花柄模様のビニールシートの上に並べ,一生懸命描きました。それを
絵画の先生が褒めてくれ(名前を書き忘れていた),それから,その
頃は「一生懸命描けば何でも描ける」,それ以後,デザインも「図工」
の点数が,倍になりました。就職2年してから又,「好きな絵の道に
行こう」と,学校へ入り,木炭で描くデッサンをして,又,その余りの
下手さにがっくりしました。(上から順に並べられる,私の最初のデッ
サンは45点で35人位の32番目位でした)しかし,これで「始めて
持った木炭で描いた絵が45点もあったんなら,おんの字や」と思い,
余計にファイトが湧き,絵が余計に好きになりました。

> よく展覧会に連れて行かれるのですが、ピンときません。。
> 先月もダリ展に行きましたが。まったく絵で感動がでません。。

うーん,難しい。私も全く源さんと同じです。多分,絵が「感動しない」
のは,「動」に対し「静」(動かない)のが「原因」ではと思うのですが。
スポーツの様に,例え観客の一人であれ,涙があふれ,何かしない
ではいられない「感動」もあれば,絵画(と限定して)をいつ感動
出来るかは,その人によって異なるでしょう。恐らく,絵を見ながら
感動に咽び,涙を流す位の人は,そういないのではないでしょうか,
だから「好き」か「嫌い」で見るのが最も良い様にも思います。
或いは私の様に「石膏デッサン」等を噛った(あれは西洋の物の見方)
物には,その「苦心」が目に浮かび,「凄い」と思ってしまう事も
しばしばあります。あ,それから例え本人が「心眼」を開いて,「心眼」
を表現出来たとしても,誰も気付かないかもしれないし,気付いても,
それで「感動」するとは限らないし,難しい。
> 音楽は、ビシバシ感じるし、分かる気がするのですが、、、
むしろ音楽は「形に見えない抽象」,なのに何故,皆が「感動」する
のでしょう?,まあ,ロック(エレキ,シンセ)などは「自分が乗る」
事でむしろスポーツに近い感動の様な気もします。私はクラシックも,
ロックも時々,聞きますが,まあ,ベートーベンとバッハ(これは退屈
だが宇宙を感じる)とショパン,ラベル,マーラー位には感動もします
が,ロックのあの「退屈さ」には,「私の感性」はついて行きません。
むしろ,古賀政男メロディーの方が私には「感動的」です。
> それと、陶芸も好きなのですが。。
> そうそう、岡本太郎の展覧会もずいぶん前に行きました。

岡本太郎さんは,単に絵とか立体とかでなく,彼自身が「感動」の全
てで,むしろ「絵は下手」「色は汚い」(彼はそう言われて喜ぶで
しょう),まあ,もし太郎さんのビデオか,本がありましたら読
んで頂けたら,いや,もう本人がいないから伝わらないかな。
私は現代の若者全てに太郎さんの本を読んで貰いたいと思っています。
>
> なんか絵を見ると、理屈で考えてしまいます。
> ダリ展で物(島、岩)が浮遊している絵を見ながら、理屈で考えて、
> おお!物が浮かんでいることで、逆に重さを気にしちゃうなあ・・
> なんて考えたり、時計が溶けている絵(ダリ展にはなかったけど)
> を見て、ああ、時計を止めていることで、逆に時間のながれが感
> じさせている、そう考えるとそう感じました。。
> とにかく、絵は理屈でみてしまいます。
今,ダリ展が福岡でやっています。私は以前に殆ど全ての作品を見ました。
ダリの絵は「理屈で見れる」楽しさが,異次元に誘ってくれる様にも思う
のですが,
>
> > 始めて描くと不思議にも,誰でもこれが「自分の顔」に似てくるのです。
>
> ああ、なんか、これ、分かるような。。興味があります。
> もしかすると、自分を参考にして、相手を知ろうとするためかも
> しれません。。
>
> > 又,そのテクニックによって,平面の紙に描かれた立体が,もの凄い
> > 迫力となって「立体」として迫って来るのです。その内,唯の「石膏の
> > 像」でしかないまがい物なのに「その物の心まで」表現出来る素描が出
> > 来上がるのです。
いえ,多分,GENGOROUさんも,毎日毎日,石1個でも,子供でも,気になる
女性でも,色をつけないで,そうですね,2ヵ月位描いて見れば,きっと
「心眼」を見つけられる事でしょう。
これは例に当てはまるどうか,
ある坊さんが庭に円を描いて悟りを開こうと,1000日同じ方向を見て
座禅を組んでいて,999日いたが,彼は「心眼」を開いてしまい,「悟り」
は開けなかった。毎日,一点を見つめていたら,塀(木材)の節穴から,外の
世界まで彼は見える様になり,その穴から「女性の裸体」が見えてしまい,
煩悩が広がってしまったとさ。
> ゴッホの耳を削いだ後の自画像には、すこし感じるものがあるのですが、
> それは、ゴッホの生涯を、私が知っているからで、、しょう。
ゴッホの絵はCGやコピーで拡大したり,色彩を変化させたりすれば,もしか
「感動」されるかも。
> 私が、絵を苦手とするわけです。
多分「苦手」と言うのは「実物通りに描けない」(スーパーリアル)と言う事
からきた物だと思います。それは「思い込み」で,絵は誰でも「その通り」に
描けます。(実物をコピーするだけなら最も楽な事です),がそれは「心眼」
を開いた事にはならないが「自信」にはなります。
> 芸術と武術では、こころはこころでも、また、ちがった
> 能力があるということになるのでしょうか。。
> 絵画は、やはり、心を表現する手段なのでしょうか。。
> ときどきですが、、5月ごろの若葉の季節に、風景をみて、
> ああ、これを描いてみたいなあ!!と思いますが、、
> 描けない。。
全くこれは「錯覚」と「誤解」です。GENGOROUさんの様に,文章を自在に
操れる方が「描けない」筈はありません。画家(と限って)には天才など
いません。「馬鹿」はいても(私もその一人)。しかし「動かない」事が
「古くさい」「時代遅れ」になりつつあるのも確かです。

私の好きな画家は「ピーター・ブリューゲル(バベルの塔)」「ヒロムニエル
・ボッシュ(ゲゲゲの鬼太郎の世界),パウル・クレー(是非,原画で)
フェルメール(これぞ心眼),ゴヤ(堀田善衛さんの「ゴヤ3部作」でも,
少し退屈ですが),日本の画家では「速水御舟(炎の上に蛾が飛んでいる,
切手になっている)」最近の人では「田中一村」(奄美のアカショウゲラ
を描いています),江戸時代のデザイナー伊藤若冲(絶品の鶏の絵を是非)

私の大阪の友人が音楽制作を始め先日数曲送ってきてくれました。
私は彼に「世界で通用する」「小室哲也を越えられる」とけしかけています。

GENGOROUさん,是非,お薦めの「音楽」「音」を教えて下さい。喜多かつみ

kita katsumi kitapp@elf.coara.or.jp
「創造学級KITA ORIGINA」「誰も聞いた事のないコスモムジカ」
URL http://www3.coara.or.jp/~kitapp  
「創造空間」&「蔵書」&「奇蹟」&「古葉書」「切手」(7,DEC,1998更新)





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