[BlueSky: 832] Re:824 「人間中心思考の排除」の考え


[From] kitapp@elf.coara.or.jp (Katsumi) [Date] Thu, 9 Sep 1999 10:25:47 +0900


> たとえば、弓道とか射撃の方にお話を伺うと、心眼というものがあり、
> 的を凝視せずに無の境地で、静かな心に身を任せたときに、吸い込
> まれるように当たるとか、、
> 将棋の世界でいうと、最後は心に聞いてみるとか、、、
> 剣術でいうと、剣と一体になり、相手とも一体の世界に入るとか、、
> で、いずれの方も、それを心の技として明確には説明できないようです。
>
> このことはおもしろいことではないでしょうか。
> 人間は説明できないことを使っているし、使ったほうがいいことに
> なります。そのようなことから、常に探求し原因、原理、法則を
> 探していると、それはそれで良いのですが、いつのまにか、
> 理解できるものしか使えなくなる可能性があると思います。
> 人間の持つ能力を限定してしまうのはもったいないと思います。

こんにちわ,GENGOROUさん,いつも楽しくメールを読んでおります。
まあ,私が理解できているかどうかは判りません。
上の文章で,私は余り「心眼」など信用していませんでした。もしかしたら,
GENGOROUさんのおっしゃる事と少し違うかも知れませんが,私も「心眼」
の様な物を体験した事があります。それは絵画を行う人には,以前は必ず
「石膏デッサン」「人体デッサン」と言って,白紙の洋紙に,木炭(木炭ですよ,
非現代的と言うか,でもこれが最高なのです)で,ギリシャの英雄像(他,モリエール,
ラオコーン,ベートーベン等も)等をモノクロで描くのです。その目的は平面の紙に
性格に「形態を捉える」事が第1で,「立体感」「質感」「量感」「筆のタッチ」
等を表現するのです。始めて描くと不思議にも,誰でもこれが「自分の顔」に似て
くるのです。又,そのテクニックによって,平面の紙に描かれた立体が,もの凄い
迫力となって「立体」として迫って来るのです。その内,唯の「石膏の像」でしかない
まがい物なのに「その物の心まで」表現出来る素描が出来上がるのです。

名前を出して何ですが,東京芸大などに行かれる方の中には,既に入学される前に「教授
以上」に「心」まで表現されたデッサンを描かれる人も多いとか。
例えば,音楽学校等でも,18歳〜22歳位の年齢は,既に「最高」の物を備えられる
年代なのです。

話は違いますが,私は現在の「義務教育の崩壊」とか「受験戦争」「登校拒否」などの
「教育問題」についての提案として,今,日本で最高学府と言われている大学(一校)の
レベルが,単純な「記憶の限界」を競う事に終始しており,もっともっと「心眼」を
求められる様な受験内容や,或いは学校に入る以前に,自分が進みたい「学」の「特許
を一つ」位取得しなければ「駄目」位のレベルにすれば,又,違った「教育改革」に
繋がるのではと思っています。(誰も入れない学校になるかな)

後の部分は私は別のメールで「学校改革」をテーマに「最高学府(誰でもそう思っている
大学,名前を明記しても良いのですが,現在を否定している様にとられたく在りません
ので)のレベルをもっともっと高く」として,「受験地獄」等と思われている方々には
,やや「逆説的な意見」ですが「逆も又,真なり」で書こうと思っていたのですが。
喜多かつみ



kita katsumi kitapp@elf.coara.or.jp
「創造学級KITA ORIGINA」「誰も聞いた事のないコスモムジカ」
URL http://www3.coara.or.jp/~kitapp  
「創造空間」&「蔵書」&「奇蹟」&「古葉書」「切手」(7,DEC,1998更新)





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