[BlueSky: 638] 昆虫採集是非論


[From] Ishitani Masahiro [Date] Fri, 27 Aug 1999 18:30:28 +0900

 青空メーリングの皆さん,沈黙を破って発言させていただきます。
 夏も終わろうしているこの頃に久々にわくわくするようなご発言
が飛び交っていることに心より敬意を表します。
 昆虫採集害悪論がかつて取り沙汰にされ,夏休みの風物詩であっ
た恒例小学校昆虫採集宿題がすっかり陰を潜めていることにためい
きをついていた私にとって,このメーリングは何と刺激的なことで
しょう。昆虫採集と言う事象に対して,これほどまでに何が皆さん
のご意見をして,多様性に富まんとさせているかと思うのは不謹慎
極まりないことなでしょうか。
 一口でいってしまえば,それほどまでに対照的な意見が出ること
が昆虫採集の本質なのだと思います。我々人間と全く正反対な生き
方をし,人間と同所的に生活しながら,本質的に全く異なる生活戦
略を取っている生き物,それが昆虫。それを採集せずして何の生き
る意味があろうやというのが,私が昆虫を採集する理由であります。

<この辺は個人的な感覚の問題でしょうし、環境にさしたる影響はな
<いように思います。

 そうですね。環境にさいたる影響はあるのかどうかは判りません
が,要するに擬人化の問題じゃあないかと思う次第です。つまり,
他のもっと大きな人間に良く似た動物が,例えば極端な例,虐待さ
れたりするのを見るのは非常につらい。それは私もよくわかります。
それはその動物を自分に,あるいは自分でなくても人間に置き換え
て見てるからなんですね。簡単にいってしまえば,昆虫にはそうゆ
うものは余りありません。あるとしたらそれは程度の問題でしょう。
もともと擬人化の程度は個人差があってしかるべきものでしょうか
ら,あの虫には擬人化を感じるが,この虫には感じないとかね。ま
た,成虫には感じるが,幼虫には感じないとか。その程度が行きす
ぎると人によっては相当な抵抗を感じるんだと思います。
 でも基本的には,昆虫1匹の命と高等動物の1匹の命は違うと思
います。こうゆうことを言うと誤解されそうなんだけど,それは,
彼らの生態系の中での位置(生態的地位,ニッチ)によるものだと
思いませんか。食物連鎖の下方にいて支えているものと上方にいる
ものとは本質的に生態的な役割が違うんです。例えばミツバチは女
王を中心とした社会を形成してますよね。その社会の個々の生命は
確かに1個だけれでも,それは巣全体では一つの命であってそれが
うごめいているという見方もできますよね。
 だから命は確かに1対1だけれども,本質的には高等動物とは,
違う。だから昆虫はいくら殺してもよいということを言っているん
ではないのです。それは誤解のないように。
 でも同じ1対1と考えては誤解を招く。そうゆうことを言ってい
るんです。出来るだけ最小限度の個体を採集する。それは当然のこ
とだと思っています。

>ところで、私の生命に対する感覚はこの数年間で大きく変わりまし
>た。以前はただ単に生き物がいて、その命は等しく貴いものだとい
>う単純なものでしたが、今は、個々の個体の命はそれほど貴くない
>と思うようになりました。

 ちょっと違うと思うんだけど,実験動物ばかり飼育しているとそん
な感覚にもなりますよね。私の家では子供と一緒に6種類の昆虫を飼
ってますが,だんだん擬人化してきました。
 餌をやるとすぐにねだる者,しょっちゅう交尾ばかりしている者,
土の中に潜ったっきりなかなか出てこない者など。同じ種でも個性が
ありますよね。
 そうするとだんだん殺して標本にするのが惜しくなって,生きてる
内はそのままにしておこうと思ってます。死んだらその時標本にすれ
ばいいやって感じです。

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石谷 正宇 (ISHITANI Masahiro)
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