[BlueSky:06368] Re06351 


[From] "genngorou" [Date] Sun, 23 Jan 2005 05:35:59 +0900


ゲンゴロウです。

中澤さん、どうもです。
私の放つ、支離滅裂ミックス投稿にいつもコメントをいただき、
ありがたいというか、申し訳ないです。
と言いながら、きょうも、また、思いつきレベルの投稿を・・・

中澤さん:
> ぼくはそこを変えたいのです。というか,専門家と一般社会が
> 共通理解をもつようにしたいのです。つまり,
>
> マスメディアが問題だと騒ぐ→政治家や官僚が国民の目を意識して
> 場当たり的に対策したポーズをとる→実効が上がらないか金の無駄
>
> というよくある流れを減らすためには,メディアが騒ごうが
> どうしようが,国民の方がしっかりと報道の中身を判断すればいい
> のだと思います。

NHK教育テレビの人間講座で、安斎育郎さんという方の
「だます心だまされる心」という番組をやっていますが、
http://www.nhk.or.jp/ningenkoza/200412/wed.html
人間、敵を騙(だま)すなら味方からと、最大の味方である
自分までも、自分の為に都合良く騙すようなところがあると
私は思っています。(人間はほんとにづるいんだ。。)
以前に、私は「善意の善人」という投稿をしましたが、
それなども、気が付かなければ、あるいは、悪意がなければ、
悪い行為も許されるということで、あえて善し悪しを考えずに
ヤレヤレと、やりたいことが出来る連中もいるような気もします。
泥棒や詐欺師を捕まえて責めても、まったく悪いという自覚が
ないということがあるような気がします。
そういった犯罪者の様な悪人ではなく、私を含めた一般の
善良と見える人間も、自らトリックにはまり、やりたいことを
やるという傾向があるような気もします。
思えば、
私は、ずっと人の錯覚とかトリックに興味を持って
来た気がしますので、中澤さんのお考えなどにも、興味を
持ちながら、とても大切だなと、心底、思っています。
中澤さんの思いは、人間の本質とか、社会の根底にまで
メスを入れるようで、とても難しいことだと思います。
そして、現実的な話というか、実践しなければならない話であり、
とても貴重だとも思います。

悪が多く、悪がまかり通った社会では、それを「とがめ」たり、
とやかく言う人間が「変」と思われる傾向もあるような気もし、
そういう社会の中で、正しいことを言おうとすることは、
とても勇気があることだと、私は思います。
中澤さんの進もうとしている方向は、なかなかきびしい道の
ようにも思えます。

そんなことを考えながら、
またトンチンカンになるかもしれませんが、私なりに考えたことが
ありますので、書かせてもらいます。

 共通理解についてですが、
共通理解には理解力という脳味噌の出来不出来が関係してくる
ので、一般社会全体の共通理解は、完璧には無理だと思います。
しかし、それを目指すことは、とっても大切ななことだと私は思います。
ただ、
一般の人たちとの完全な共通理解は、絶対に無理だということは、
明確にしておきたいところでは、あります。

一般社会と言えば、社会機構だとか社会システムを指して
いるのかもしれませんが、人の社会でもあるのですから、
社会といえば全ての人々を指すはずで、
人の皮をかぶったサル顔負けの人間とか、サル以下の人たち
も含まれるわけなので、専門家が「一般社会と共通理解」
と口にした時点で、一般社会を、ある程度、高度な人々に
よって作られている一般社会に限定することになってしまうので
はないかと思ってしまいます。

もしかすると、中澤さんのおっしゃることは、庶民の教養とか、
理解力とか、興味を、諸事の専門家のレベルに近づけるという
試みではなく、専門家から一般社会へのアプローチということなの
かもしれません。
「分かりやすい説明を情報発信する」という様なことではないかと?
それは、
報道にたよるよりも、既存の情報メディアを通さなくても、伝われば
いいのですから、独自の情報発信を立ち上げるということに発展
する考えなのかもしれないなと、思いました。
ITの進歩により、それが可能になってきていますね。

専門家が情報発信すれば媒体による情報の変質が起きることは
なく、他の既存メディアで情報の変質が起きても、補完システムと
して機能できるし、「政治からもメディアからも独立した専門家集団」
による情報発信の方法があれば、間違った政策などが行われる
ことを防げたり、避けられたりできますね。
いよいよという感じでしょうか。。。

 専門家が発する情報が一般社会に発せられ、
それに触れやすくなるシステムは、大切なことだと思います。
 一部の専門家による勝手な行為、あるいは、行為者(行政)が、
都合の良い専門家を見つけてきて、その論を借り、勝手なこと
をすることを防げると思います。
そして、それは、そのシステムに属す専門家に、監視する
ことを庶民が任せる働きも生まれてきそうです。
「専門家による専門家からの直接的な一般社会への情報発信」という
明確に限定したシステム開発を念頭に置けば、良い仕組みが
作れそうです。
ちなみに、
中澤さんのHPを、私は、時々、覗いていますが、その感想として、
一般社会への専門家としての貴重な情報発信と、以前から受け止め、
今回の中澤さんの想いを聞き、なるほど、有言実行の人だな〜と感じてます。

ところで、仕組みと言えば経営学とかの組織論ですが、
社会全体も組織なわけですから、中澤さんの試みは、
その社会組織を変革するということになり、その意味では、
もしかすると「組織論」を参考にしなければならないのかも
しれません。
で、その組織論を考えると、最重要が「コミニュケーション」だと、
私は思うのですが、それこそ、中澤さんが最も重要視していること
でもあるようなので、「なるほど、一所懸命だと、自然に大切な所に
向かうのだな」などと、感心しています。

ところで、余計なことを考えました。。。(って、全部が余計?)

既存のメディアではなく、信頼できる報道機関が、専門家の
集まりによって、作れないものか、どうか・・・?
そういうことなのではないかと思うのですが、
実は、ちょっと想像をしてみて、先行きに悲観的なものを感じました。
たぶん、私が考えたので、そう感じるのだと思いますが・・・。

現在、ネットに、専門家による一般社会への情報発信を目指す
HOME-PAGEを作ったとしても、その数の多さによって、沈み、結果
同じ様な考えの人々の存在によって、皮肉にも自滅していますね。
まったく砂の中に埋没しているような気がします。
書籍での情報発信を考えても、本屋に行けば分かるように、
皆、自分の興味のある書棚に張り付いているので、
まるで人類、おしなべてオタク化の様でもあります。
不特定多数の人の目に触れるには、やはり、
ネットしかないのでしょうが、しかし、情報の海に沈んでしまう。
で、
その環境(専門家の沈没)の中で、行為者によって、
勝手なことが横行していると言えないでしょうか?
国家こそは行為者なので、情報発信がある意味、邪魔かもしれ
ません。行為者は、出来るなら、やりたいことを黙ってモクモクと
やりたいはずで、一般の社会の人々が黙っているほどに、
その行為はやりやすいことになると思います。
行為者(権力者)と、それを見張る者とでは、立った場所からして
違っており、その立場を考えると、
情報が氾濫している社会は、勝手なことがやりやすい環境
なのかもしれません。

見張らなければいけないものには、かつて、チッソの水銀、水俣病
があり、諫早湾もあり、薬害エイズもあり、あげればきりがないようです。
そういった出来事が勝手に横行するのを避けるには、
専門家こそが、企業と同じように一般社会へ知らしめざることを
行うために、広告を打たねばならないかもしれません。
なにしろ、興味のない人々の耳に届かせなければならないのですから。。。
しかし、それには、魅力のある場所に広告を打たねばならない。
魅力のある考えであるなら、かのフランス革命以前の啓蒙思想?
の様に、広告も打つ必要はないのですが・・・。。。

で、もしも、専門家からの一般社会へのアプローチが成功し、
専門家集団のメディアが成長した場合、その場合にも、
さらに悲惨なことが待ち受けていそうです。。
・・・それも、考えてみました。(「よく考えるもんだ」と思いながら。。。)

大きな情報発信組織に成長すると、
既存のメディアの存在を脅かすことにもなりかねず、
もしかすると、国家をも脅かす存在になり、風当たりも強くなる
かもしれません。(風当たりが強くなければ、大したことはない?)
オーバーでなく、真に一般性を持たせるということとは、おそらく、
そういうことだと思います。
すると、
出るクギは打たれる。勝てば官軍、負ければ賊軍。潜れば地下組織。
しかし、楽観的に考えれば、徐々に、理解者も増え、だんだんと
行政の考え方も変わってくるのかもしれません。

ところで、事がうまく行き、ある専門家集団の考えが一般社会に
影響力がが生まれてくると、その影響力が権力にもなりかねない
かもしれません。すると、そのシステムを狙う輩も登場してくるかも
しれません。
仮に中澤さんがその責任者になったら、中澤さんが望まなくても
権力を持つので、その地位や力を頼ったり狙ったりする
者も現れ、恐喝や買収といった強い圧力も生まれてくるかもしれません。
それに染まらぬ中澤さんは、毒をもられて暗殺されるかもしれない。
また、
一般社会に大きな影響力を持つと、
こんどは公共性の為に、まるで公共放送の様な、
それなりな発信内容になってしまう運命をたどるかもしれません。

などと、いろいろ考えてしまうのですが、
理想を言えば、専門家集団がワイワイといろいろ意見を交わし
ている場があり、それを一般社会の人々が見ることが出来る
メディアが、ランドマークタワーの様に目立って出来上がれば
いいなぁ〜と思います。
それこそ、社会が座礁したり沈没したりしないような灯台の役目に
なるのでしょうか。。。
(東大は灯台に名前を改めるべきか?!)
自分のことを言えば、私にとっては、青空大学が、それに近いです。

>今回の問題のターゲットはウイルス対策ですから,
> (1)報道量が増えただけなのか,
> (2)患者が増えたのか,
> (3)これまで患者として数えられていなかった人が患者として認識
> されるようになったのか,
> この3者を誰もがはっきりと区別できるようになって欲しいのです。
> 感染症対策は疫学的な知見に基づいて行われるので,疫学的に重要な
> この区別が共有されないと,対策の合理性について異なる立場から
> 議論することができません。

おっしゃる事は、まったくその通りだと思います。
が、
あえて、言うことを言えば、
広く一般社会で、議論したら大変なことになるかもしれません。

私の知った世界では、正しい方向など求めようなどという人間は
少なく、いかに金になるか、どうしたら自分の有利な世界になるか
ということにばかり頭を働かせている人間が多く、そんな人間こそが、
大きな声を張り上げ、まともな意見をその騒音で消すことまで起こし
ます。

確かに、議論は大切です。民主主義は、民意主義でなければなら
ないので、多数決が大切なのでしょう。しかし、多数決で国の行く末、
あるいは世界の行く末とか人類の将来を決定するにしても、それ以
前に、よく考えることが大切なので、議論が大切です。
しかし、競争社会のせいなのか、世の中の変化が早すぎ、
ゆっくりと議論している時間が無いようで、もう人類は、
専門家の意見を聞く暇さえなくなっていて、それを良いことに、
やはり好き勝手な政策が行われているのかもしれません。

少子化が起きている原因にもいろいろある様に、税金が無駄に
使われる原因も多くありそうで、単純に、論理的に正しい判断を
行うことを、行政や、庶民や、メディアに期待しても、論理的に正
しい判断を、あえてしたくなさそうな動きも多くあり、啓蒙を行った
からといって、そういった努力(中澤さんの努力)が、報われるよう
には私には思えません。
ほんとに大変なことへのチャレンジであるように思えます。

こういうことを言うと、
誤解され、中澤さんの想いを否定しているように思われるかも
しれませんが、実は、私は、中澤さんという人をかなり尊敬して
います。その根拠は簡単で、私のような素人の相手をしてくれ
ているから(笑)

専門家の研究が社会に役立つこと、それの為に、
一般社会と専門家とが共通理解を容易に持てるために、
その障害の壁を、なんとか低くできないのかと、私も思いますので、
どうか、頑張って、よろしくお願いしますと言いたいです。

                           ゲンゴロウ。




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