[BlueSky:06210] 願い・祈り・念仏(マントラ)


[From] "Takashi Suzuki" [Date] Sat, 23 Oct 2004 00:08:41 +0900

鈴木です。
補足・・・になるかどうか分かりませんが、私の理解している範囲で、以下書いて
みました。

「願い」は
例えば、北オセチアのようなテロが二度と起こらないことを願う、といった風に表
現されます。

「祈り」は
願いが昇華されたもの、と表現されたりしますが、それでは何を言ってるのか分か
りませんよね。人間の意識というのは、重層的になっていて、表面意識から潜在意
識に連なっていると思われます。その潜在意識の奥底には、真我がある、というの
がユング以来の見解ではないかと思います。

その真我と表面意識(いわゆる自我)が解け合うというか、自我が拡大して真我と
一体となって、「真我意識から発せられた宣言」が祈り、としておくのが良いと思
います。

で「念仏、またはマントラ」というのは、
真我(神我)一体を体得した人が、その境地へ導くための、ザイルというか、階段
というか、エスカレータ、エレベータのようなものとして、提供しているシステム
と考えたら良いとおもいます。

私の言っている、指導の必要性とは、つまるところマントラを受け入れなさい、と
言ってるわけです。これは、いわゆる学校の先生に教えてもらうのとは、わけが違
うのです。この質の差は、知識ではこんりんざい理解できません。体得する世界で
す。

質の違う世界観が存在し、その世界観からみればそちらの方が、この世界のありよ
うに影響を与え、規定していることが分かりますから、私としては、そちらに意識
を向けていただくことを切に願い、祈っております。


余談ですが
真我は、本質的には表面自我への支配権をもっていますから、表面自我が堂々巡り
をあまりに続けている場合には、真我の強制執行のようなことがあるように思いま
す。その場合、自我が崩壊し、あたかも狂人のようになってしまうようです。私の
父に死期が近づいたとき、そのようなことが起こったと思いました。意識のしっか
りしているうちに、何らかの指導を受けいれていれば、それは回避されただろうと
思います。

May peace prevail on earth

鈴木 隆 


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