> 「方向」感覚は、むやみに感じると恐い感覚だと思います。人に方向が
> 現れるのは、何かの観念とか価値がその前提にあるからで、自らが思
> う「方向」が、どんなことによって自分の中に生れてしいるのかを知らず
> に、「方向」だけを考えるのは、時に、盲目的に「他の方向」までも誕生
> させていまうような気がします。
時間がとれれば、ゲンゴロウさんには、じっくりと書き連ねて見たい気持ちががり
ますが、とりあえず、一言だけ、返信しておきます。
私は指導に従うことの重要性を語ってきたと思います。
指導者は方向を示す人であるわけです。
それを選択することは「恐い感覚」というのが、本当のところだと思います。
にもかかわらず、そうしなければ、ほとんどの場合、本人にとっても社会にとって
も価値ある結果を得ることが出来ない、と私には思えます。
指導に従うというのは、数学の公式を知識として使うというのとは、全く違いま
す。
その意味で、数学の公式の例では、適切でなかったようです。
価値ある結果とは、例えば、北オセチアのような問題が、解決に向かうのに役立つ
ということです。
ゲンゴロウさんに対しては、「じれたったい」などとは思っておりません。私は、
貴君のような思考というか、方法は取らないです。そして、、私(だけではく誰で
もそうでしょうが・・・)にとってこまごましたことだと感ずることには、関知し
ませんので。
May peace prevail on earth
鈴木 隆
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