[BlueSky: 618] 発言がちょっと怖い。 Re:605 自然の事,昆虫の事


[From] GENNGOROU@aol.com [Date] Thu, 26 Aug 1999 13:07:20 EDT


こんにちは、喜多様!青空MLの皆様。

                   ゲンゴロウ

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>こんにちわ,喜多です。今日も福岡は雨,今年の夏は雨ばかり。虫の音が
>日増しに大きくなり,夕焼けは「既に秋」。

喜多様のメールを読むことで、素敵な小説を読んだ気持ちになれ、
時間に追われる私には、ありがたいものです。

>大阪から当地に来て,自然に触れる事が多くなり,気付いたのだが,小鳥
>や蝶々でも,人間の振る舞いに合わせて,仲良く出来ると言う事を。
>(まあ,6月に最愛の猫を亡くし,涙がちょちょ切れたので判っている積
> もりだったが)。

えーー!と言われそうですが、私、猫が嫌いでした。
ところが、私の家の狭い庭のベランダの下に、ある時、三匹の子猫を
連れた猫が来ました。
私が猫嫌いなのは、実家で飼っていたインコや金魚を襲われたからだと
思います。でも、我が家に来た猫には参りました。
おや猫は、ちょっと覗く私に、戦いを挑んでも子猫を守ろうとするのです。
庭に出られなくなってしまいました。

>先日,庭の「ねずみもち」の樹木が大きく枝が広がり,隣に迷惑なので,
>枝を切っていたら,「黒あげは蝶」がやってきて,心無しか私と一緒に,
>枝切りを楽しんで見ている様で,逃げもせず,私の周りを乱舞した。それ
>は丁度「鬼ごっこ遊び」を楽しんでいる様でもある。又,ここには野鳥が
>一杯飛んでくる。私が毎朝,体操していると,電線の上からじっと見てい
>る様にして,非常に美しい声を聞かせる。私が真似て,口笛を聞かせたり,
>声で真似ると,相当長い間,返答する様に声を響かせる。

私の家の周りにも、それはそれは、たくさん鳥がいます。
朝などは、「もしかするとこの世界は鳥の世界かもしれない・・」と
思うほど、にぎやかです。人間の存在なんか眼中にない感じです。

>又,この辺りには樹木が一杯で,烏のねぐらがあるのか,時には不気味な
>程,一杯いる。

本当に!
不気味なほどですね。

>これには私は絶対に反応しない。怒りもしなければ,餌などもやらない。
>時々,離れの屋根に「どかん」と大きな音がするので,見ると烏の奴と
>目が合う。私は黙って見る。すると,どこかへ飛んで行く。
>「烏は不吉」であろうがなかろうが,そんな事を言っていたら,ここでは
>生きて行けない。だから,「沈黙」で対抗する。だから,烏も余り悪い事
>をしない。

カラス観察は、私の趣味です。奴らは、もしかすると、次のこの地球の
支配者かもしれません。言葉があるし、他己を感じているらしく、
自己も獲得しているように思えます。
彼らには、人間には信じられない、ものすごい超能力があるようです。
(これ、カラス研究家に教えたい。。。)

>私は自然の昆虫などを,自然の状態で見るのが好きだ。

私、先日、図書館に行って、家内に車を見張っているように言われたのに、
一匹のアリの追跡に夢中になって、巡回のお巡りさんに、駐車違反で捕ま
ってしまいました。「アリを見るのが悪いですか」と、弁解したら、お巡
りさんに「それと、これとは話が違います。アリを見るのは、あなたの勝
手です」と、言われてしまいました。

>以前,私の大阪の
>知人で,「良い物を見せて上げる」と言って,大きな箱を抱えきれない位
>持って来たのがいる。包を解くと,何と「昆虫の標本だ」,私は彼の精神
>を疑った(笑)。

笑い事ではありません。
私、一度、夏休みの宿題に、学研の付録に標本セットがあったので、
昆虫採集を始めましたが、一匹の蝶に防腐剤?をやっと注射して、
昆虫採集は断念しました。父からは、「おまえは、ほんとうに根気が
ないなあ」と言われました。
あ!誤解しないでください。私は釣りも出来ない人間ですが、漁師さん
は尊敬してます。

>先日もある昆虫学者が「昆虫の標本造り」と言って,
>子供達に,昆虫の背中に針を指すのを教えていた。私には理解できなか
>った。彼等は「昆虫が飯より好きだから,針を指した昆虫を標本にしてい
>る」らしい。私は外国も数か国行ったが,たまたまかも知れないが,この
>「背中に針を指した昆虫標本」なる物を見た事がない。これもテレビで見
>たが外国(ヨーロッパ)の博物館等では「そのままの形を机の引出形式の
>入れ物で保存している」のを見た。あの「昆虫を針で指して見える様にガ
>ラス張りの箱で保存」は外国から来た物か,それとも日本で考えられた物
>なのか。もしかしたら,私でさえ嫌悪感を感じるのだから「西欧人」はあ
>れを「動物虐待」と思わないのだろうか。

上のお話を聞いて、喜多様のお話の内容はともかく、喜多様の
お話の仕方に(私は)驚きました。繊細さに驚きました。
喜多様は、次のような言葉を使っていらっしゃいます。

「私には理解出来なかった。」
「らしい」
「テレビで見た」
「たまたまかもしれない」
「もしかしたら」
「だろうか」

など、ご自分のお話が「個人的な意見」「個人の推測」であることを
きちんと強調し、「メディアの偏り」も示し、「決めつけない」言い
回しに頭が下がりました。

私には、公の場で意見を言うときに、これ以上の「謙虚さ」を文章に
ちりばめることはできません。
このような、表現をされているにも関わらず、反感をかってしまうなら、
私などは、どうしたらいいのでしょうか。。。

なぜ、私にそれが出来ないかというと、
おそらく、「意思の自由」に裏付けされた、「言論の自由」に
私が甘んじているからだと思います。
私は、思うのですが、「意思の自由」「言論の自由」は、この民主主義の
最低限の「自由」だと思っております。
ですから、仮に、「何々はこうである」と決めつけた独断的な意見も
許されるのだと思っております。

どんなに過激に思える意見でも「受け手の誰もが」、それを
「個人的な思いなんだなあ」と受け取らなければいけないのでは
ないかと思います。
でないと、心やさしい人は、他者をどこかで傷つけはしないかと、
「自由な思い」を、口に出せない世の中がまた、来てしまいます。

「言論の自由」は、言う方にも問題がある場合がありますが、
「受け手の捉え方」こそ、成長しなければ、いけないと思います。
その意味で、もし、喜多様のような、
「これ以上繊細にできない表現による思いの発言」が人を傷つけてしまう
のなら、私などのように、表現も未熟、経験不足、人の気持ちを推し量れ
ない者は、「恐ろしくて」意見が言えなくなってしまいます。

多様性のなかでは、多様性に対処する「表現」は無理なのではない
でしょうか。。多様性の中にあっては、誰もが、「多様性」を認める
ことで、「多様性」に傷つくことなく、「すばらしい考え」をも探し
出すことが可能なのではないでしょうか。

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余談ですが、
私、植木の枝さえ、切るに忍びなかったのですが、
その結果、庭では、植物の生存競争で「はなみずき」の木が死んで
しまいました。(根の領地争いだったかも・・)
で、私は、植木の枝きりは、「散髪」と考えるようになりました。
馬のひづめを切るのと同じだと思うようにしています。

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最後に、
喜多様のメールを勝手に利用して、
自分のMLでの発言への私の恐怖を説明してしまったことに、
お詫びを申し上げます。
喜多様、ごめんなさい。

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GENNGOROU






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