----- Original Message -----
[BlueSky:06126] Re: 遺伝子と選別教育
> 大半の人はいくつかを持ちいくつかを持たない
> 中間型になるでしょう。
> ならば、分布の両端は選別できるにしても、
> 大半の人は選別不能の「凡百の民」となるのでは。
だからいつまでもそのようなマスでしか見ない均一教育を脱して
それぞれに応じたものにしようよといわれてるんでしょ
> 遺伝子で能力を選別して特別な教育をすることで、
> 選別しない場合に比べてどれだけなにが達成できるのか、
「その能力に応じて」という理念に近づくことが期待されてるわけで
今はたまたま遺伝子が流行ってるからそれなだけで
そのうち誰もが否定しがたい何らかの客観的根拠によって
人それぞれに相応しい教育が為されるだろう
あるいは為されて欲しいといわれてるだけでしょ
> 知能遺伝子をたくさん取りそろえている、ごくまれな天才を花開かせる
> ということが目的なら、現状でもそういう人は
> たいてい自力で道を切り開いているのではないのか。
どうしてそういう人は自力でなきゃいけないんでしょうかね
落ちこぼれを見放すのとまったく変わりがない
それ天才となると無視してみたり足引っ張ってみたり
いい加減にその品性は何とかならんのですかね…
> それ以外の、多くの人が属するレベルでは、
> 選別したところで結果の違いは知れているのではないか。
一人一人の違いに沿ってというのが基本的趣旨である限り
お団子でしかない「多くの人」たちこそ最も選別に力を入れるところでしょ
----- Original Message -----
[BlueSky:06127] Re: 遺伝子と選別教育
>>人間は「能力においては不平等でも,権利においては平等」であるべきです.
違う能力に等しい権利とは違う教育内容を受けることです
平等に均一な教育をすると「多くの人以外」を不当に差別することになる
> 知能や運動能力の遺伝的差異が事実であったとしても、性差が
> 存在することが事実であったとしても、権利や機会の平等は守
> られるべきである、と皆が考える社会に住みたいですね。
皆が「平等な機会」というのを勘違いしてない社会がいいです
> 個人的に優れていることを望む権利と我々が行政にどのような
> 教育システムを望むのかは明確に分けて議論すべきです。
行政には望むのでなく臨むのが主権者というもんです
> でも遺伝子検査の結果によって保険金額が変わったり、行く学
> 校を決められたりするのはイヤな感じですね。
遺伝子検査しなくても持病として出てたら金額は変わるし
親のせいで学校が決まったりが嫌なのは当たり前でしょ
> 自分がたばこを吸うかどうかや受けた試験の点数で、保険や学
> 校が決まるのなら納得できますけど。
遺伝子は生まれたときに決まってるからという短絡思考のままの
「決められ」だの「決まる」だのの寝言はいい加減にして欲しいもんです
まだ何も決まってないときにこそ「機会」というんでしょうが
まっとうな理念というものがどれほど凡夫に理解しがたいか
こういうところで如実に現れるんですね…
> 医学者は公害事件で何をしてきたのか
たいてい凡夫のほうがよほど罪作りです
(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。