[BlueSky:06036] 虫虫・・・「心的な疎集団と密集団」


[From] "genngorou" [Date] Wed, 11 Aug 2004 00:15:31 +0900


虫は虫なりに一つの考え
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「個と集団」的な思考で
  「心的な疎集団と密集団」
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 人が二人り以上集まった集団というものを考え、心的な結び
つきという観点で、その集団というものを分けてみると「心的に
密な集団」と「心的に疎な集団」という分類もできるようだ。
この分類で「個と集団」のことについて少し考えてみたい。

 集団にはある目的の為に作られた組織がそうである様に、
心的(人間的)には、その関係が”疎”な集団がある。その様な
集団では、心が先行して集団化したのではないので、心の結び
つきは薄く、その意味では「心的に疎な集団」は、非人間的な
集団で、単なる「群れ集団」と呼べるかもしれない。

 その様な集団の中で、個人が「心的な存在」であろうとすれば、
人間は疎の集団の中で、心的に密な集団化を自然に求め、作
り始めてしまうのかもしれない。
先日、ニュースで、道路公団だったか、飲み食い費を会議費とし
て、堂々と請求し、公費使用が日常的に行われていたというよう
なニュースがあった。。。法的には明らかに不法行為であるが、
これを「疎集団の中の心的存在」として考えてみると、「人は疎
の組織の中では密な関係の方向に動く」ということで、大集団と
いう疎集団の中では、必然的に小集団(密)を作り出そうとし、
その結束力には、善も使われるが悪も、安易に使ってしまうと
考えられるかもしれない。

 この様に考えると、「疎」を強く感じる人間は「密」を求めるあま
り、あらゆる手を使って「密な集団」を作り出そうとしてしまうのか
もしれない。
個人は自らと、すでに心的に「密」に付き合っている。それだけに、
外部にも「密なる集団」を求める傾向が生まれ、人は例外なく心
的な疎集団の中だけでは生きられず、人は疎集団の中でこそ、
密な集団に属すそうとするモーメント(方向性を持った力)を所持
してしまうのかもしれない。そして、一部の人間は「社会的な集団
のルール」や「倫理」「道徳」などを簡単に逸脱してしまうのかもし
れない。この人の現象は善悪ということを抜きに考えてみる必要
があるかもしれない。
人は例外なく、心的に疎に陥ると、何を始めるか分からない。。。

                           ゲンゴロウ。。。



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