[BlueSky: 60] 議論の3つの水準と無駄をなくすこと / Re: 御挨拶


[From] Minato Nakazawa [Date] Mon, 12 Jul 1999 13:14:58 +0900

中澤です。

森山さん,率直なご意見ありがとうございます。
ちょっと長いコメントをしますが,ご容赦ください。

> そういうことですよね。
> 結局、みんな自分の基準で必要とか必要でないとか、
> 無駄とか無駄じゃないとか、
> エネルギー食い過ぎだとかそうじゃないとか言ってるわけですよね。
> これは別に詰問しているわけじゃない。自分自身への発言に近いんですけど。
> 僕は[BlueSky: 23]で、
>  >僕はあまり環境保護派ではないよな、と自分で自分のことを捉えています。
> と書きましたけど、その理由の一つもここにあるのです。
「あまり環境保護派でない」視点からの発言は重要だと思います。
環境保護に関心がある人が環境保護をするのはあたりまえで,
この青空MLが多様な立場からの発言を元に学び合うような場で
あるためには,利便性重視の立場(と便宜的に呼ばせていただきます)
からの意見もたくさんでてこないと,実効性のある結論は得られない
と思うからです。

例えば,先頃,千葉県による東京湾三番瀬埋め立て計画が縮小されました。
(1)たんに「干潟の生物多様性を守れ」とか「東京湾の生物相を破壊
する権利は人間にはない」といった環境保護論だけでは,おそらく
千葉県や周辺市町村の行政が耳を貸すことはなかったでしょう。
環境保護論が悪いとはいいませんが,多くの人を動かす力としては
弱いと思うのです。

(2)「多様な生物に触れるすばらしい機会を奪うな」といえば,
それよりはやや強いですが,それでも住民の好みの問題に過ぎず
(しかも系統的な住民の意識調査は,なされていないと思います),
同じ好みの問題である,「第二湾岸道路は蘇我や木更津の住民の
利便性のために必要だ」という論理とは対等でしかありません。
開発計画と同じように,埋め立てをしないことによるメリットを
示す必要があります。三番瀬フォーラムによる代替案とか,
親水空間としての再生とかいった動きは,このレベルでの議論の
摺り合わせでしょう。これが[BlueSky: 6]で申し上げた,「人と
人の相対的な利害得失関係」に当たります。

(3)ところが,小倉紀雄さんがデータで明快に示したように,干潟の
アサリの汚水浄化能力は埋め立て地に予定されている流域下水処理場
の浄化能力を大きく上回り,しかも流域処理場と違って定常的な
汚水流入を必要としない点で優れているという論理は強いです。
誰が見てもわかる,埋め立てに伴うデメリットが明確に示されて
いるからです。埋め立てが無駄だということがわかるので,
多くの人の支持を受けることができます。
つまり,この問題においては,流域下水処理場建設用地の確保
というのは,何十年も前の開発側の方便に過ぎなかったわけです。
ぼくがいいたいのは,これを通してしまうような無駄は避けたい
ということに尽きます。

ここで書いたような3つの水準のどれにおいても,自由な
議論を通して得られるものは多いと思います。それこそが
このMLに対する,ぼくの個人的な期待です。

> そういう欲の塊なんです、少なくとも僕は。
ぼくも結構物欲の固まりです。vaioノートももっていますし。
最低限の基準として自分に課していることは,無駄をしない
ということです。買ったら使う。大量消費よりも気に入った物を
大事に使う方が良いと思うのは,ぼくのイデオロギーなので
第2の水準での,「こういうライフスタイルも幸せだよ」と
表明します。もちろん反論はあると思いますから,議論を
通して妥協点を探れれば有益と思います。「妥協点」と書いた
のはこの意味です。

現時点では使い捨てを第3の水準で無駄と決めつける材料は
ないので,そのレベルでの決定的議論はできません。適材適所
というか,無駄にしなければいいと思います。

無駄による快楽がある可能性は否定しませんが,それを上回る
反作用があることを予測すればやめるでしょう。

嫌いな方もいるかもしれませんが,喩え話をします。
夏に集めた食物を冬になる前に食べ尽くしてしまったら,
冬の間に大量餓死者がでるでしょう。それが予測できたら
食べ物をとっておくのが人間です。ドーキンス(*)も予測能力
を人間の特性として挙げています。

(*)ドーキンス:リチャード・ドーキンス。英国の生物学者で
生物=生存機械論や利己的遺伝子論で有名。


> ただ「僕は僕なりの基準でバランスを取っています」、
> と言ったところで何の意味もないですよね。そんなこと当たり前なわけだから。
基準として「無駄をなくす」ことを提案したいというのが,
ぼくの主張です。

> 要するに僕は所詮、いかに生きれば欲を満たしつつ(環境にダメージを与えつつ)、
> なおかつ次の代なり自分たちの老後なりが過ごしやすいものになるか?
> ということを考えている、あるいは考えたいと思っているに過ぎない。
> たぶん結局、みんなそんなもんでしょう? 違うんでしょうか?
違いません。少なくともぼくはそうです。

> これはそれに対してエネルギーや資源を使いません、ほうらこんなに無駄がない、
> とかいうことに、果たしてどのくらい重要な意味があるのかなー、と思っちゃう
> わけです。そもそも「無駄」とか「資源」とかいう概念にどんくらい意味がある
> かもよく分かりませんし。
>
> もちろんローカルなレベルでは影響があると思いますよ。
> ゴミをやたらめったら捨てるのをみんながやめれば、川がきれいになるとか。
> そういうレベルでは大きな影響があるし、ガンガンやるべきだろうと思います。
グローバルはローカルの集成ですから,無駄をなくすことには
地球規模でも意味があると思います。

> ですが、何がどのくらいエネルギーとかを使うか使わないか、
> こうすれば資源が無駄にならないよとかいうのは、
> 一概に言えないんじゃないですか、ってことなんですけど。
> 様々なものが絡んでいるのでそもそもコストの概算も難しいし、
それは認めますが,上の方で書いた3つの水準の話で,お答えに
なったでしょうか。第2の水準でしか話ができないなら,お互いの
主張をして妥協点を探ればいいのだと思います。

> そもそも「じゃあやめちゃえばいいじゃん」と言われたときにどう言い訳するのか、
> というのもまた人の価値観の問題になっちゃいますから。
第3の水準では価値観の問題ではないでしょう。

> 車の免許を持っていなくても、毎日新幹線通勤してたら、
> やっぱり環境にダメージはあるわけでしょ。
> でも会社に行くのをやめたら、少なくとも通勤のコストは0ですからね。
認めます。ぼくが毎日長野から上野まで新幹線通勤しているのは,
妻子と別居したくないという,きわめて個人的な理由ですからね。
自分の基準でメリットの方がデメリットより大きいと判断したから
に過ぎません。長野県に今と同じ仕事をさせてくれるところがあれば
すぐにでも転勤したいです。3月までは通勤が無駄だからという理由で
大学の正門の前に住んでいましたし。

しかしやりたいことをやらせてくれる就職先がどこにでもあると
いうわけではないので,妻が長野に職を得た以上,次善の策として
新幹線通勤をしているのです。これはかなりな特殊事情だから,
この種の議論に提出するには適当なデータではないですが。

> お互い(含・不特定多数の他者)のライフスタイルどうこうを指摘しあったり
> 「環境保護自慢」しあったりするのはなんか不毛というか、
> まさにパラドックスやジレンマの中にどんどん落ち込むだけじゃないかな、
> と思ったのです。
> ここ一連の投稿を拝読していて。
別に「環境保護自慢」ではないと思いますが,森山さんの
懸念はわからなくもないです。でも,上で書いた第2のレベルでの
主張と考えてください。できたら,メタレベルの指摘よりも
森山さんご自身,あるいは,もっと徹底した科学技術至上主義
の人がやってきて,第2のレベルで主張をぶつけてくださると
より建設的になると思うのですが。

> なんか単なる僕個人の立場というかスタンスを宣言するだけになっちゃいました。
> で、お前は結局何が言いたいんだ、どうしたいんだ、と聞かれても答えられません。
> 分からないからです。
> そのスタンス、脚の置き場を見つけるためにもこのMLに参加させて頂いたような
> 次第なんですが。。。
脚の置き場を見つけられるような場にこのMLが成長すれば,喜ばしいことです。
今後ともよろしくお願いします。

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Minato Nakazawa, Ph.D. <minato@sv3.humeco.m.u-tokyo.ac.jp>


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