[BlueSky:05949] Re: ラインホールド・ニーバーの祈り


[From] "Y.kuzunuki" [Date] Thu, 01 Jul 2004 11:49:22 +0900

こんにちは、葛貫です。

環境から離れた話になっているので、もうこの辺でこのお話はおし
まいにしようと思っていたのですが

葛貫:
> > 「時刻表」http://miyuki-lab.jp/disco/lyric/ba125.shtml
> > という歌を聴きながら、「いづれの行も及びがたき身なれば、
> > とても地獄は一定すみかぞかし」ということで m(_ _)m 。

ゲンゴロウさん:
> この句?、、意味が、「なるほど」とは、分かりません。
> 「私はどんなことも中途半端なので、ひどい地獄は、一定の
> ところに身を置くこと」という意味なのでしょうか。。。
> 教えて下さい。気になってしかたがなくて。。。

と公の場で問われたら、こたえないのは落ち着きが悪いので(^^;;。


「いづれの行も及びがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」

これは、「歎異抄」に書かれている親鸞の言葉です。
高校生の頃、歴史か倫理社会の授業で習い、印象に残った言葉なの
で、つい、書いてしまいました。

当時のノートは残っていないし、記憶に誤りがあるかもしれないの
で、私が舌足らずな説明をするより、きちんとした文脈の中でこの
言葉を捉えられるよう、「歎異抄」を読んで戴いた方が良いように
思われます(^^;。

たとえば、
http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/tanni/index.htm の
http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/tanni/tanni03.htm から

********
> 同行達を前にして、親鸞は、「地獄になど落ちないよ」なんていう、
> あらゆる人間の奥底に潜む上昇志向をくすぐるような、甘っちょろ
> いことは決して言わず、「地獄落ちでも構わない」と言い放つ。恐
> ろしいほどの「仏(ぶつ)の教え」に対する信頼である。
********

親鸞が信頼した「仏の教え」は、「善人なおもて往生をとぐいわん
や悪人をや」という「悪人正機説」。
http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/tanni/tanni06.htm

私の印象では、念仏さえ唱えれば、誰でも極楽へ行けちゃうのよ、
というお話ではなく、善人であろうとしてきたのに、自身が至らぬ
人間であるということを思い知らされた人を、その動機、経緯に寄
り添い、本人が、理想の自分と現実の自分とのギャップ、記憶の嘘
を見つめ良心と和解する、というか、自分自身を受け入れる過程が
「救い」であるように思われます。リュック・ベッソン監督の映画
「ジャンヌ・ダルク」の後半の獄中のジャンヌのような。


> > > 「フォッグ・オブ・ウォー」より
http://www.sonypictures.jp/movies/fogofwar/title-navigation-3.html

*********

> > マクナマラは自分の体験を、11の教訓=レッスンと共に語り始める……後略
*********

「私も85才だ。人生を振り返り、いくつかの結論を出してもいい頃
だろう」というマクナマラは、「全てを観てきた全知全能の絶対者
=神」の目から観て、自分がしてきたことはどうだったのか、自分
が荷担して作り出した共同幻想に、どれだけの人を巻き込んできた
のか、という内省をせずにはいられない、また、今後の軌道修正が
可能なら、同じ轍を踏まないための参考になるならと、それを公に
せずにはいられない、悔恨があったのではないかな、と思います。

丁度、米国の大統領選挙を控え、現状を概観し、考えてみようよと、
ある派のマスコミが取り上げ、映画と本というかたちで、世にさら
されるに至ったのでしょうね。

今・ここで世間が、自分を赦し受け入れてくれれば、ま、水に流し
ちゃっていいんじゃない、という感覚とは違いますね(^^;。


> 「結果を引き受ける」は、この国を引っ張ってきた人たちに
> もってもらいたい感覚です。年金の使い道がずさんだったのに、
> また、ここに来て、それを横においているから、またずさん。
> そして、結果がでるときは、おおかたの人が死んでいる。
> まったく。。。

年金を注ぎ込んでつくった施設を二束三文で売っ払うのではなく、
この方達の年金や退職金は、そういう施設の利用回数券で支払う
ことにしたら、いいかも(^^;。

では。


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