driadさんこんにちは、小宮です。
> > > >そういう行為への抵抗感をなくすのに、インターネットやTV、TVゲーム
> > > >が一役かっているのではないでしょうか。
>
> 抵抗感という自然はどのように生息しているんでしょうか
僕がここで使った抵抗感というのは、生理的嫌悪感のことです。例えば
人とけんかして、殴ったり殴られたりしたら自分にも相手にも血が出て
あざが出来て、痛みがでる。そうすれば、実際に他人を傷つけて、血が
相手が悲鳴をあげれば、どんなに相手が痛みを感じているか共感でき、
人を刺したり傷つけたりすることに、生理的な嫌悪感、抵抗感を
感じるはずです。しかし、PCやTVの中で人が死ぬということになれると、
そこには自分の痛みというのがまったくないですから、人を殺すことも
まったくの他人ごととしか感じられず、抵抗感がなくなると思うのです。
そういえば、むかしドラえもんで、のびたがいやな人をボタンひとつで
消してしまえる道具をかりて、次から次へと人を消していって、最後
には自分以外の全員を消してしまう、という話がありました。少し立場
は違いますが、これも生理的嫌悪感を感じなければ人は人を消して
しまうことができるという例でしょう。のびたですらそうなのですから、
他の人はどうでしょう?
まあ、今の世の中にも似たような人はたくさんいますけどね。自分は
クーラーの効いた部屋にいて、ミサイルを落とす命令を出すどこかの
国の大統領とか、自分の利益のために戦争に賛成したり、肯定する人
とか、お金がかかるといって、車の欠陥を隠し、それで人が死んでも
知らん顔だったどこかのメーカーの重役達とか。他人の痛みに共感
できなければ、人はどこまででも残虐になれるのでしょう。
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