[BlueSky: 5752] Re:5701 「個人の」集団


[From] "荻野 行雄" [Date] Sun, 1 Feb 2004 21:35:42 +0900

>>  「それに属する個人すべてに寄与する集団」ですね。
>> 念頭にあるのは、古武術 甲野善紀氏と、その周りの人々です。
>
>これはどんな方々でしょうか。もしご面倒でなければお話いただけ
>たらうれしく思います。


「自分の頭と体で考える PHP文庫 養老孟司+甲野善紀」
P180

(甲野) コピーライターの糸井重里さんが、私の稽古会を見に来られて一番関心を
持ってくださったのは私の稽古会の形態なのです。
私の稽古会というのは、とにかくまずこれを教えますというかたちではなくて、とに
かく私は専ら初心者専門で、来た人にまず私の技がどんな感じか体験してもらう。
 常連で慣れた人たちなどは、もう好き勝手にやっているわけです。とにかく、ああ
だこうだと言いながらそこらじゅうでやってるものですから全然厳粛でも何でもな
い。
当然、何の命令も号令もない。それで初めて来た人の多くは戸惑うんです。どうして
いいか分からない。それで「まず何を覚えたらいいんでしょうか」という質問をされ
るのですが「いや、何も覚えるものはないです。ただ体験してもらって、どれがやり
たいか、それぞれ自分で問題を作ってやって下さい」と言います。そうすると最初は
戸惑っていてもこの稽古会のやり方が性に合って「自分でやっていっていいんだ」と
いう自由に気づくと、後はもう自然といろいろ進歩してゆくようですね。
 それでこの稽古会の形態は、糸井さんがかねて考えられていた組織のあり様の一つ
が体現されているとのことでした。ですからさきほども話に出ましたが、誰もが共同
体の建前を守っていかなければならないんだということを息苦しくも思っているわけ
ですよね。それを一応は守っているけれど、それから外れて自由に展開していいんだ
ということになると、やはり大きな解放感もあって変わってくるのだろうと思うので
す。

(養老) 日本の研究所でそれをなくすことができる研究所というのは、おそらくほと
んどないですね。ただ、世界中どこでもそうですけれど、うまくいった研究所という
のは、おそらくそれをなくしたところだと思います。全然ないっていう意味ではない
けれども、少なくとも研究に関してはそういう共同体の建前のようなものがないの
が、うまくいく場所なのだと思います。そういう場所を作るノウハウみたいなもの
が、戦争突入前後、昭和の初め頃から、だんだんなくなってきたんじゃないでしょう
か。
 なぜなくなったのか分からないのですが、無理やりうまくいったケースが、かつて
の理化学研究所だと思います。田中角栄から武見太郎、朝永振一郎までいたんです
よ。田中角栄なんて研究員でもないのに、雇われていた。けれども、そういう世界が
実際にあったんですね。昭和十年代の話ですから、もう古い話ですが。
 まあ、日本の研究所で成功したところってあまりないですね。それは今おっしゃっ
たような雰囲気を所長が作れないからです。そういう意味では、理化学研究所の所長
は偉かったのだと思います。だから科学史の人に、そういう日本で成功した研究所の
例を調べたらいいテーマになるよと、よく言うんです。
 ある時期の京都府立一中から旧制三高もそうでした。その所長と朝永、湯川が同級
生なんです。それから人文研を作った桑原武夫、今西錦司も同級生です。同じ学校の
同じクラス。そんなこと滅多にあるわけないので、もう絶対それは環境なんですね。


「不安定だから強い 武術家甲野善紀の世界  晶文社 田中聡」
P200 稽古会の風景から

 恵比寿で行われている自主稽古会の様子を初めて見た人は、ここがいったい何を
やっている道場なのか、にわかにはわからないだろう。
 木刀で、何か古流の剣術を稽古している人がいる。模擬刀で抜刀の稽古をしている
人もいれば、空手の型をやっている人、中国拳法の練功の型をとっている人もいる。
一番多いのは、二人で組んで体術の稽古をしている人たちだ。とてもひとつの道場で
同時に行われているとは思えない雑多さである。なにやら笑いながら話し込んでいる
人たちもいる。
 そこには、厳しく張りつめた空気はない。けれども、場がダレたりユルんだりして
いる様子もない。
 甲野師範は、松聲館を開いたとき、そこを「強迫的でなく、惰性的でなく、快い緊
張と情熱の籠る場」にしたいと考えたという。それまでに多くの武道、民間療法、健
康法、宗教の諸団体の実態を見てきた経験から、「ああはなりたくない、したくな
い」という思いが強くあったからだ。
 どんな小集団でも、組織として維持されてゆくうちには政治的な状況が生まれ、き
しみや膠着が生じてしまう。有形であれ無形であれ権力構造のあるところには、き
まって見苦しい内情が生まれるものだ。
 甲野師範が会を組織化せず、段位などを制定しないのは、それを避けてのことでも
ある。師範が権力的な立場にあれば、稽古の場にも不純なものが混じるだろう。だか
ら稽古会での師範は、ともに稽古研究する仲間、より技のできる先輩というほどの気
持ちでいるという。
 そのような態度を徹底したことが、独特な稽古風景を生み出すことになった。
 この稽古会は、あくまで自分の稽古をしたいと思う人たちが自主的に集まっている
場なので、義務感やたんなる習慣で通ってくるような人はいない。そんな気持ちで来
ても、何の見返りもない。段位があるわけではないし、皆勤が褒められるわけでもな
い。
 あるていど顔なじみになった人なら、たとえ一年くらい姿を見せなくても、次に
やってきたときには「おや、ひさしぶり」といった調子で迎えられ、「最近は技のほ
うはどう?」と、なんの屈託もなく稽古の場に溶けこんでしまうだろう。もし、その
とき見違えるほど技ができるようになっていたら、感心はされても、反感を買うとい
うことはありえない。
 こんな雰囲気は、一般に武道の道場ではまず考えられないのではないかと思う。一
年も来なければ、やる気がないとみなされるだろうし(というより、やめたものと思
われるだろう)、仲間意識の連帯のようなものから外されてしまって、居づらいだろ
う。
 しかし、稽古会に姿を見せないからといって、その人が稽古をしていなかったとは
かぎらない。忙しくて来れなくても毎日の通勤時間の歩行を稽古にあてていたかもし
れない。しばらく興味をなくしていたけど、ふと気づくことがあって興味が再燃した
ということもあるだろうし、あるいは他流の稽古をしていたのかもしれない。
 ここでは、他の流派を同時に学んでいようと、しかも、そちらのほうを優先してい
ようと、誰もこだわらない。むしろ、それはどんなものなのか興味をもたれるだろ
う。
 稽古への情熱だけが、この場を成り立たせている。みな、技ができるようになりた
くて稽古をしているにすぎない。技の稽古のうえでの交流さえあれば、他は関係ない
のである。ノルマはない。課せられる課題もない。規則もない。人間関係の序列もな
い。
 一言で言ってしまえば、必然性のないことは排されている。稽古するためだけに場
を共有しているのであって、権力や勲章や過剰な連帯感や師との癒着などは、技の追
及のうえでは邪魔でしかない。
 そういう不必要なものを除外してしまえば、その場は「世間」化しないようだ。
「世間」とは、必然性のない約束事によって成り立っている世界だからだ。


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| 荻野 行雄 ogino.yukio@nifty.com
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