[BlueSky: 5708] Re:5707 緊急提案「学


[From] "Kaz. Yokoyama" [Date] Tue, 27 Jan 2004 18:42:34 +0900

須賀さん

> ひとつ考えてみる余地があるのは、学校の先生という仕事を、
> じっくり自分で時間をかけてものを考えたり教え方の工夫を
> 試したりできるようなものにするにはどうしたらいいのか、
> ということではないでしょうか。

私も日々考えるのですが、怒濤のように押し寄せる業務をこなすだけで
へとへとになりますが、それでも兎に角「去年と同じ」は悪だ、何かを
変えようと自分にも周りにも叱咤激励しつつ這いずり回っています。

つまり、そのことでお給料を頂いている限り変革していくことも仕事の
一つ、しかも重要な部分だと思うのです。言われた通り、先輩のやって
いる通りにするのは職務怠慢だということにしませんか?そうでもしな
い限り一つも良くなりませんよ。この世わ。

> 人員をふやし、給料をあげ、自由時間をふやす、ということも検討して
> みる価値がありそうです。

人員をふやすのは異議なしですが、給料を増やすのはどうでしょうか。
嘗て「でもしか先生」と言われて、薄給でなり手がないから「先生
でもなるか、あるいは先生しかなれない」と言われた時代があって
「優秀な人材獲得」と言う美名のもと待遇改善が計られた後の方が
サラリーマン先生が増えたんじゃないですか?私の同級生も先生志望
の人が沢山居ましたが、中には「身分が安定で、しかも知らない人に
教えるのが一番楽だ」と言って憚らない人が少なからず居ましたから。
要は金の餌に釣られるようなのはろくなのは居ないと言うことですよ。
本当に凄い人材を求めるのならもっと高次な動機付けが必要でしょうね。
例えば、教育委員会を廃止して、それに代わる機関を現場教員から
選挙で選ぶとか。そしてその機関は知事の施策に意見を述べることが出来
知事は一定割合その意見を施策に反映させなければならないとか。

> とにかく公共部門の支出を減らせという今の風潮のなかでは
> 暴論にひびくでしょうけれど、要するに、やりがいがあり、
> 和尚さんとも楽しく交われるような優秀なひとたちが積極的にやって
> みたくなる仕事にするにはどうすればいいのか、ということです。

支出は否応なく減らさざるを得ないでしょうが、教育に関わる投資は
減らしてはいけません、断じて。つまり、教員免許や学校の設置基準
などと言う規制に守られた張りぼて組織は必要ないと言うことです。
必要であれば、プロの科学者や経営者の時間を買って彼らとの触れ合い
の機会を提供するのは非常に良いことで、そう言う出費を疎かにして
はいけないと思います。私自身も後輩の求めに応じて長野高校に授業
に行ったことがありますし、福岡の私立高校の生徒さんと一緒に実験
やったこともありますよ。そう言う時彼らは非常に輝いて見えました。
たぶん、私が先生じゃなかったからでしょうが。

> それには制度の改革も必要ですし、お金もかかります。

そう言うお金は惜しまず出さないと未来を失うことになります。
その代わり、やったことの結果責任は必要ですね。担当者がどんどん
代わって、制度だけが生き残っているの私の周りにも沢山あり、端
迷惑も甚だしい。決裁を下した人の名前を制度には付けるべきでしょ
うね。後からでも責められるように。

> こんなことをいうと、制度ぎらい、役人ぎらいの個人主義者が
> ずらりとそろったこのメーリングリストではひんしゅくをかいそう
> ですが・・・・・・。

機能不全の制度や、既得権にどっぷり浸かった腐敗役人が嫌いな
だけでしょう。命がけで働いている役人だって居ますよ。それに、
社会を根こそぎ変えるためには本当に必要な制度も無ければなりま
せん。そう言う具体的なことを言わず、ただ制度や役人が嫌いな
人はその人自身も上の腐敗役人と大差ない。その意味で私は、
「考えるな」と言う先生は今でも反吐が出る程嫌いですが、良い
先生は熱望しますし、居た時は賞賛を惜しみません。

> ただ、要はどこに社会の優先順位を高く置くか、ということで、
> 価値観の問題になるのだとわたしは思いますが。

教育無くして未来無しでしょう。勿論最高順位ですよ。
だからこそ、忙しいのにこんなに長く書いて居るんです。
では
横山


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