[BlueSky: 5672] Re:5671 さてっ・・と 「ご指摘ありがとうございます。」の続きかな・・・


[From] "maspy" [Date] Tue, 2 May 2000 00:56:08 +0900


maspyさんはじめまして。
>
 Maspyです。
どうも。
 丁寧なお返事ありがとうございます。
 勉強させていただきます。

>  ところで、さっそくご質問させていただきますが、
>  「平和」について書くことは、そんなにパワーが
>  必要でしょうか。
>
>  「戦争」について書くことのほうが、どうも
>  しんどいようにも思えますけど・・・

「平和について書く」というのは、当然、戦争についても考えて書
くという意味です。お天気の話を書くようなわけにはゆかない、と
いうほどの意味ととらえてくださいませ。

  はいはい。わかりました。
  平和というのは、みなさん望んでいるはずですが
  期待が裏切られたときの、痛みというのは
  大きいものだと思います。


> 結局、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することが、

> 数決として出来てこなかったわけです。
>
>   う〜〜ん。多数決なんか、やってないんじゃ
>   ないでしょうか。
>   勝手にやっている人たちがいるっていう
>   ことでしょう。

勝手にやることを、暗黙に承認している人たちが沢山いるからそう
なるんじゃないですか。そういう意味で多数決です。問題はあるの
でしょうが、普通選挙が行なわれているわけで、武力による独裁政
権ではありませんしね。

   海外派兵が争点になっていたとは
   思えませんけど・・
   派兵反対の世論は、選挙以前から民意であったと
   思いますけど。
   為政者が、平和の期待を裏切っているんじゃ
   ないでしょうか。

   その痛みの大きさが、すずきさんを、絶望的
   にさせているんじゃないでしょうか。


>あっと、私自身はクリスチャンでも仏教徒でもありません。人か

>は神道家といわれますが、まあ遠からずといったところです。神

>の真髄は、無教祖、無戒律、無経典、カンナガラ(神ながら)道

>いわれます。

>   ようするに、なにか東洋的な「汎神論」のようなものを
>   ベースに、行動なさって、いろいろ考えられていると
>   いうことで、よろしいでしょうか。
>
>   神道のばやい、もともとは、多神教であったと聞いて
>   おりますが、聖者賢者となってまいりますと、なにか
>   また、「経典」のようなものを想定されているという
>   ことでしょうか。
>
>   すこし辻褄が、あわなくなっているとも、思えますが
>   思い過ごしでしょうか。

せっかくのご質問ですから、答えてみます。

   どうも、わざわざ、ありがとうございます。

神道が汎神論とか多神教とかいうことで、神道の本質的な何かを説
明しているとは思いません。私はカンナガラと言いましたが、それ
は、自己の本質である「神」を表現するという意味でしょう。これ
が神道の本質だと言いたいと思います。

  素人なりに、考えてみますと、自己の本質を顕現するという
  ことは、
  それを、他者の中に表現する、他者の中で己を生きると
  いうことではないかと思います。
  ピュアな意味で、自己が顕現したことを、確証する手段
  がありませんので・・・

その意味で、他者が「争い」を選択した・・と
  お考えになる、鈴木さんの、絶望について、
  深く、思いをよせてみたいと思います。


神道の立場からは、お釈迦様もイエスキリストもモハメッドも一神
道家なのであります。無教祖、無経典、無戒律といった自立したあ
り方が、神道の真実ですが、それに至るために指導を受けること
は、非常に重要であります。お釈迦様も悟りを得るまでに確か、4
人の指導者の下で修行したはずです。

  そうですか。
  わたくしは、とても、性根がものぐさですので
  お釈迦様は尊敬しておりますが、
  手塚マンガの「ブッダ」くらいしか読んでいません。
  それも、寝転がって、ミカンをほうばりながら・・
  という、なさけない低レベルの理解だと思います。

  しかし、よくわからないのは
  「無教祖、無経典、無戒律といった自立したあり方」
  という部分です。

  「自立」というものに、こだわっておられる
  ようですが、このあたりを、もう少し説明
  いただけないでしょうか。

  ようするに、指導というのが、本当に必要な
  理由がよくわからないのです。
  たしか、手塚のブッダでは、指導者になりきれないことによって
  悟りをひらいてしまう・・という逆説的オチだったように
  記憶しています。(これもかなりいいかげんなんで、あやしいですけど)


「経典」のようなものは、自立するまでの導きの糸であります。そ
して、この「糸」ぬきで、ひとが自立することは、極めて難しいと
私は思っています。

  自立する、ということは、
  超人にでもなることなのでしょうか。

  これをご自分でやられる人は立派だと
  いうしかないですが、
  他人に勧められるようなことではないと思いますけど・・


ただ、いわゆる「宗教」が教団に取り込むことのみに力をそそぎが
ちになり、むしろ自立を阻害する要因になっている場合が多々あ
る、とは言えます。だから多くの人々が「宗教」を警戒するんで
しょうがね。

  いえいえ、宗教者には、立派なかたが
  たくさん、いらっしゃいますよ。

  ただ、強烈な自己の陶冶を、宗教活動の核心において
  いるのは、バブテスト系の方々とかですね。
  聖書すらいらないと言っておられる方もいらっしゃるようで
  猛烈・・というしかないですが・・
  ちょっと、しんどいんじゃないかと思うんですけど・・


May peace prevail on earth

鈴木 隆 
http://www.h3.dion.ne.jp/~shienron/



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