maspyさんはじめまして。
>
> ところで、さっそくご質問させていただきますが、
> 「平和」について書くことは、そんなにパワーが
> 必要でしょうか。
>
> 「戦争」について書くことのほうが、どうも
> しんどいようにも思えますけど・・・
「平和について書く」というのは、当然、戦争についても考えて書
くという意味です。お天気の話を書くようなわけにはゆかない、と
いうほどの意味ととらえてくださいませ。
> 結局、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することが、
多
> 数決として出来てこなかったわけです。
>
> う〜〜ん。多数決なんか、やってないんじゃ
> ないでしょうか。
> 勝手にやっている人たちがいるっていう
> ことでしょう。
勝手にやることを、暗黙に承認している人たちが沢山いるからそう
なるんじゃないですか。そういう意味で多数決です。問題はあるの
でしょうが、普通選挙が行なわれているわけで、武力による独裁政
権ではありませんしね。
>あっと、私自身はクリスチャンでも仏教徒でもありません。人か
ら
>は神道家といわれますが、まあ遠からずといったところです。神
道
>の真髄は、無教祖、無戒律、無経典、カンナガラ(神ながら)道
と
>いわれます。
> ようするに、なにか東洋的な「汎神論」のようなものを
> ベースに、行動なさって、いろいろ考えられていると
> いうことで、よろしいでしょうか。
>
> 神道のばやい、もともとは、多神教であったと聞いて
> おりますが、聖者賢者となってまいりますと、なにか
> また、「経典」のようなものを想定されているという
> ことでしょうか。
>
> すこし辻褄が、あわなくなっているとも、思えますが
> 思い過ごしでしょうか。
せっかくのご質問ですから、答えてみます。
神道が汎神論とか多神教とかいうことで、神道の本質的な何かを説
明しているとは思いません。私はカンナガラと言いましたが、それ
は、自己の本質である「神」を表現するという意味でしょう。これ
が神道の本質だと言いたいと思います。
神道の立場からは、お釈迦様もイエスキリストもモハメッドも一神
道家なのであります。無教祖、無経典、無戒律といった自立したあ
り方が、神道の真実ですが、それに至るために指導を受けること
は、非常に重要であります。お釈迦様も悟りを得るまでに確か、4
人の指導者の下で修行したはずです。
「経典」のようなものは、自立するまでの導きの糸であります。そ
して、この「糸」ぬきで、ひとが自立することは、極めて難しいと
私は思っています。
ただ、いわゆる「宗教」が教団に取り込むことのみに力をそそぎが
ちになり、むしろ自立を阻害する要因になっている場合が多々あ
る、とは言えます。だから多くの人々が「宗教」を警戒するんで
しょうがね。
May peace prevail on earth
鈴木 隆
http://www.h3.dion.ne.jp/~shienron/
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