[BlueSky: 5637] 理想的発話状況・暴力


[From] Masayoshi [Date] Sun, 04 Jan 2004 21:28:02 +0900


はじめまして
Fukushimaと申します


 まず、私は、
果たして実現可能かどうかの不安はありますが、「理想的発話状況」をもたらす
対話によって自者と他者とが「了解」に達していくことについて、僅かながらも
希望を棄てきれないでいる者です。(ただし、たった一人の了解を得ることにも
手こずっている者です。)
 このMLについても、投稿者同士がコミュニケーションのメディアとして活用
されることで、投稿者間の「了解」又は「僅かながらも相互の間隔の接近」がな
され、相互理解が深まればと願っています。

 さて、
From: "Takashi Suzuki" <shienron@f6.dion.ne.jp>
Date: Tue, 23 Dec 2003 11:54:17 +0900
Subject: [BlueSky: 5586] Re:5585 冬至 キャンドルナイト
から
From: "荻野 行雄" <ogino.yukio@nifty.com>
Date: Sun, 4 Jan 2004 10:26:55 +0900
Subject: [BlueSky: 5636] Re:5631  支離滅裂
までの投稿について、
最初は退屈に
最近は若干の関心を持ちながら読んでいました。
 私にとっては難解な言葉を使った投稿群なので、私自身が投稿者の意図すると
ころを理解しているかどうかについては判りません。
 ただ「平和」という言葉がよく出てくるので、その連想として私の関心のある
ところを投稿いたします。
(そのような意味から一種の「茶々」かも知れませんので、悪しからず。)

 さて、「平和」に対置される言葉としては「戦争」という言葉がありますが、
戦争ではなく、身近にもある「暴力」というものを連想しました。
(「戦争」が「暴力」と等しいものとは思いませんが・・・)

 何故、人は人に対して暴力を行使するのでしょうか。
 それは、「対話によって合意していくこと」に対して「絶望」したとき、暴力
が発生するのではないでしょうか?
 絶望とは、希望の喪失、可能性の放棄。そのとき、もうこれ以外にない手段と
して暴力が行使されるのではないでしょうか?
 多様な価値観をもった複数の者同士が対話や議論によって了解に達することが
理想なのでしょうが、特に政治的な議論にありがちなことと思いますが、ある時
点までに決定しなければならない事項については、多数決とか、○○専決とかに
よって決定が行われます。
その時点では、議論参加者の了解は放棄されており、議論参加者に対する強制力
も持つ事項が決定されることになると思います。
(合意に達するための「時間がない」というのが、了解に至らない決定がなされ
る最大の理由ではないでしょうか。経済的にも短時間の決定が強く求められてき
ているかと思いますから、了解の可能性は更に低くなってきているのでしょう。)
 そのような中で、決定された事項は、少数者にとってしばしば不利なものが多
くなると思われます。
 しかし、少数者に対して、その救済のための決定内容の修正・是正などの道、
可能性、希望が議論の中から全く閉ざされてしまえば、ある意味での最後の手段
として、暴力は回避できなくなるものと思います。
 否、少数者を排除する決定よりも、世界を二分するような議論の決定に対して、
何らかの救済措置がないとき、暴力が発生することが多いのかも知れないと思い
ます。
 そのような意味から、議論や対話を安易に放棄したり無視することは、直ちに
暴力に結びつくとは限りませんが、暴力行使の可能性を高めることにつながりは
しないでしょうか?
 何らかの希望を確保すること、放棄しないことが大切なように思えます。

 ところで、暴力に対する防衛のために暴力を行使することは、よく「正当防衛」
と言われると思いますが、
暴力そのものを「悪い」と言うのか、暴力を行使している状況に照らして「悪い」
と言うのかは、私にはなんとも判りません。
「それはしかたがないさ。」という人もいるかと思いますが・・・




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