[BlueSky: 5531] Re . 5520  ことばと現場


[From] "ゲンゴロウ" [Date] Tue, 11 Nov 2003 00:50:41 +0900



ゲンゴロウです。
返事が大変に遅くなりました。

−−−−−−

ゲンゴロウ:
> > ただし、このお話(5511)の内容、よく、私には理解できないことです。
> > 「百の想像は一見にしかず」ということなのでしょうか。

須賀さん:
> そうでしょうか。引用した部分だけではわかりにくいかもしれま
> せんが、この話は、ことばともののあいだのもっと複雑で微妙
> な関係について語っているようにもわたしには思えたのでした。
> それを自分のことばではいえないので、うまく説明できないの
> ですが。

私も、漠然と、この話は、「ことば」と「もの」の間の複雑で
微妙な関係のことを言おうとしているような気はしていたの
ですが、何か、ピンと来なかったです。その理由は、私が理解
できないでいると思っていました。
なので、須賀さんからのこのお返事は、助かりました。

> ただ、ゲンゴロウさんの疑問は、どれも面白いと思います。
> わたしがあたかも正解を知っているかのように答えをだすより、
> みなさんにも考えていただくほうがいいのかもしれませんね。
> そのほうがこのメーリングリストの趣旨にもあっているように
> も思いますし。

早速、脱線。。。
戦争では科学が発達するようですが、言い争いでは頭が
フル回転し、様々なことに気がつけることが起きるよう
な気がします。肉体的な暴力が起きにくいMLでは、精
神的な暴力さえ気を付ければ、得るものは、かなり多く
なるような気がします。
MLで言い争いが起きたとき、まとめ役が、判で押した
ように登場しますが、まとめ役が出てくると、「頼むか
ら仲裁しないでくれよ〜」と心の中で思う時があります。

> ただ、それだけではそっけない気がしますので、わたしなりに
> 思いついたことを書いてみます。

ありがたいことです。

> > あるいくつかの疑問が生まれてしまうことを抑えられません。。
> > まず、個体なら、目で見られるので、見れば、解決するだろう
> > と思いますが、それが、化学変化のような現象であったり、、
> > さらに複雑に影響しあう人間の起こす現象などである場合には、
> > 見えないこともあるので、いったい、どうするのだろうか、、
> > と思ってしまいます。
>
> ここでウィリアムのいう「事物」を肉眼でみえるものに限定せずに、
> 観察・観測・実験などで確かめることのできる事実というふうに
> ひろげて考えれば、その延長に近代科学の立場を置くことが
> できるかもしれませんね。

とても納得します。
私も、個体として書いた後に、あれ?私が個体に限定して
いるんだな、と思いました。相変わらずアホだな〜と思い
ました。

> > それから、次に、ある物という個体に関しても、十人十色、
> > 千差万別な捉え方があるような気がするのですが、、それは
> > どうするのかな〜と思ってしまいます。
>
> たとえば、食べ物についてそのつくり方や栄養素や有害成分
> などについて考えているとき(わたし個人の体験にとって事物
> が欠けているとき)とそれをがしがしと腹のなかにつめこんで
> いるとき(事物と出会っているとき)というように対比して考え
> れば、むしろウィリアムのことばはものすごくあたっているよう
> にも思うのですが、いかがでしょうか。

これですね。たぶん、私に欠けているというか、ないのは。
自分の感覚的なことを自分一人で感じることが苦手なのかも
しれません。なんか、寂しいというか、共有したいというか、
後ろ盾が欲しいというか、、。
そういう全面に出してはまずい「共感」などを、私は不純に
求めてしまっていたのかもしれません。認知してもらい、さ
らに共有しないと、それを自分だけでは信じられないという
思いがあるので、強引に人に共有を求め、言葉を駆使しよう
とし、あーでもない、こーでもないと考えているような気が
します。

良いとか悪いとか、必要とか不必要という考え方ではなく、
感覚とか味わい、直感の前には、言葉などほんとに小さな存在
ですね。でもだからといって言葉がダメだということでも
ないのでしょうが。。。
・・・などと、勝手に、「ですね」と同意と決めつけてしま
ったようですが、いかがでしょうか?須賀さんの感覚を。
よろしければですが。。

ゲンゴロウ:
> > さらに・・・もっと遡ってしまうと、実は個体という疑いの
> > ないものも、実は、それが見えているという背景には、人間
> > 的なものが働いているともいえるのではないか?と私は想う
> > のですが、そういうことは、無視されてしまい、ちょっと危
> > 険かななどとも思ってしまいます。

須賀さん:
> そうかな〜。上でわたしがあげたどちらの例で考えても、
> 「人間にとって」事物とか記号とかがどんなものであるかを
> よくいいあらわしていると思うのですけれど。

単に、単純に、そう考えればいいのですね。。
単純なことは、基本で、大切ですね。
(私は深読みしてしまったのかもしれない。。。)

> > そして、物がある形を擁しているのは、人間が互いに了解し
> > あっているからとも言え、その為に、言葉(記号)があると
> > 思うので、言葉が新たな概念の発見を生み、その概念が言葉
> > を作り、さまざまな物事を出現させているので、欠けている
> > というよりは、言葉がある限り、その前には、無限に物事は
> > 出現するということなので、欠けているように見えてしまう
> > のではないか?!と思ったりします。

> そうかもしれませんね。ただ、記号をつかって了解しあうため
> にも、事物の世界が仲立ちとして必要なのではないでしょうか。
> ウィリアムのことばはそのことをうまくいいあらわしているように
> わたしには思えたのでした。
> いかがでしょうか。

とても納得しました。やっとピンときました。
説明をありがとうございました。

私たちがサルだったころ、野獣に追いかけられたなら、やはり
「うわー」と感じたでしょうか。。そういう体の底から出てく
る「感じ」、そして、その時に出てくるうめき声のよう声の感
じが重要だということですね。そういう声、それは声ですが、
その声が、感情を他者に伝えたいという想いと一緒になって、
だんだんと言葉になっていったのでしょうが、それは、また別
の問題のようです。つまり、言葉(記号)というのは、やはり、
本来、Communicationの為にあるのであって、コミュニケーシ
ョンが一人歩きしてしまって、もう、真に物事を示すだけにあ
るのではないような気もしてきます。
もちろん、正確なCommunicationの必要性から記号は真に物事
に対応する必要性はありますが、それはいつまでも自分の感じ
た物事を後追いしているということでしょうね。納得しました。


                  ゲンゴロウ。。。










__________________________________________________
Do You Yahoo!?
Yahoo! BB is Broadband by Yahoo!
http://bb.yahoo.co.jp/


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。