[BlueSky: 5515] Re:5511


[From] "ゲンゴロウ" [Date] Mon, 3 Nov 2003 02:01:43 +0900


ゲンゴロウです。

佐藤さん:
> > やっぱり、顔をあわさずに議論するのはよくないなー
> > 現場で、じっくり観るのがいいよなー、と思い始めています
> > 答えは現場にある、っていうじゃないですか

須賀さん:
> 偶然ですが、きのうインドネシアから自宅に帰ってきて、特に
> なんということもなくウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(河島
> 英昭訳 東京創元社)という小説をひらいたら、こんなことば
> が目にとびこんできました。小説の主人公である「私」が「師」
> とよんでいる修道士ウィリアムのことばです。このウィリアム
> は鋭い推理能力をもった人物としてえがかれています。

−−−−修道士ウィリアム−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> 「……いまから一時(いっとき)ほどまえに、わたしはこれから
> いかなる馬が現れるのか、あらゆる想定をめぐられていた。
> ただし、それはわたしの知性が豊かだったからではなく、むしろ
> わたしの直観が貧しかったからなのだ。そして修道僧たちが轡
> (くつわ)をつかんで連れてきた、あの個体としての馬をみたとき
> に、やっとわたしの知性の渇きは癒された。あのとき初めて、
> それまでの推理が、わたし自身を真理の近くへ導いてくれた
> ことを悟ったのだ。こうしてみると、まだ見たこともない一頭の
> 馬を想像するために、わたしが最初にもちいた観念は、単なる
> 記号にすぎなかった。ちょうど雪の上の足跡が、馬という概念
> の記号であったように。そして記号や記号の記号を用いるのは、
> わたしたちにとってまだ事物が欠けているときにかぎられるのだ」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

このお話、とても興味をそそられてしまいました。
ご紹介、ありがとうございます。

ただし、このお話の内容、よく、私には理解できないことです。
「百の想像は一見にしかず」ということなのでしょうか。。
そうであるなら、、それはそれで、そうだな、、と思うのですが、
あるいくつかの疑問が生まれてしまうことを抑えられません。。

まず、個体なら、目で見られるので、見れば、解決するだろう
と思いますが、それが、化学変化のような現象であったり、、
さらに複雑に影響しあう人間の起こす現象などである場合には、
見えないこともあるので、いったい、どうするのだろうか、、
と思ってしまいます。

それから、次に、ある物という個体に関しても、十人十色、
千差万別な捉え方があるような気がするのですが、、それは
どうするのかな〜と思ってしまいます。

さらに・・・もっと遡ってしまうと、実は個体という疑いの
ないものも、実は、それが見えているという背景には、人間
的なものが働いているともいえるのではないか?と私は想う
のですが、そういうことは、無視されてしまい、ちょっと危
険かななどとも思ってしまいます。
そして、物がある形を擁しているのは、人間が互いに了解し
あっているからとも言え、その為に、言葉(記号)があると
思うので、言葉が新たな概念の発見を生み、その概念が言葉
を作り、さまざまな物事を出現させているので、欠けている
というよりは、言葉がある限り、その前には、無限に物事は
出現するということなので、欠けているように見えてしまう
のではないか?!と思ったりします。

うまく説明できないので、私の言っていること、分からない
かもしれませんが、ちょっと、そんなことを思いました。。

−−−
 
ところで、NHKスペシャルでちょっと耳に入ったことです
が、うまく他者に伝わるように説明できる様に心がけると、
頭がよくなるらしいです。


             ゲンゴロウ。。。




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