> 媒介項を挟めば国民の問題になる、と言う事ですね。でも日本国民である私
> は少子高齢化が問題だとは思っていない(したがって個人的に解決しようとも
> 思っていない)し、国家運営と言う媒介項を通しても少子高齢化がどう問題に
> なるのかイマイチ判らんのですが。
問題というのは情報と論理で描けるでしょうが
問題意識というのは情緒に近いので
感じなければ感じないでどうしようもないものです
人口が減るのも環境にいいというのは一面の理屈でしかなく
ふつうは人が居なくなると荒廃するんですが
荒廃っぷりのなかでのスローライフというのが
素敵に見えるかどうかも美的感覚でしょうか…
> ご紹介頂いた文章も少子高齢化への対応が
> 必要だと言う提言は入っていますが、だからといって少子高齢化をどうこうし
> ようという話ではありません。
あそこでどうこうしようもなしにウェルカムなんていっていられるのは
補助金さえあればうまくいくとだけ考えてる間抜けだからです
:
> まあ、いいでしょう。あなたの主張はお示しになった文章とは異なるのだと
> いう事は判りました。ですが、あなたの主張は未だに判らないままです。
老人だけの問題ではないといっただけです
>
> > だからそういう他人の動向に関わる部分や
> > 社会の自治に関わる部分や
> > 国家運営の政策に関わる部分などに
> > それでいい勝手にやっててという態度が見られるから
> > 関わりを持ってもらう方向に向けてせっせとコメントしてるわけです
>
> 政治を政府にお任せする権利を持って居る者を有権者と呼ぶんだそうですよ。
> 何であなたは私からその権利を放棄させようと努力するんですか?。
何かを任せる権利はその実施を監督する義務があるんですが
勝手にやってろというのは何かを任せてるんじゃなくて
当てにしてないだけでしょ
>
> それから。私は人権を積極的に擁護したいと思っています。基本的人権の1
> つに生存権が有りますが、この権利を守ろうと努力を続ける社会は必然的に高
> 齢化社会に成ります。また、子供に健康で文化的な生活をさせようと思えば、
> 収入に応じて子供の数をコントロールするしかありません。そして子供の数を
> 決めるのは親となる者達の権利です。収入が増え続けると言う前提が崩れた現
> 代日本で、親の権利や高齢者の権利を認めれば、少子高齢化社会を受け入れる
> しか無い訳です。
子供に健康で文化的な生活をさせようとしたときに
「自分の収入の範囲」だけでやろうとつい考えてしまってるから
そう決め付けてるだけでしょ
自分の収入なんかほとんど使わずに
そうできるはずなのかもしれないとか考えたこともないのなら
想像力(公共心?)の貧困ですね
人権云々の世迷い言を並べてないで
個人の収入に応じてなんていう最低限の話でなく
世の中にあるお金を最大限に有効に使うには
どうしたらいいかとちょっとは考えてみて欲しいですね…
> ゴミでは無いメール、お待ちしています。
ごみが溢れていても見て見ぬ振りをするとか読まずに捨てるとか
ごみじゃないものが来るまで待つなんていう
そんなださいことは環境のMLらしくないんじゃないですか
そこらに溢れているごみになりそうなものを有効に使うとか
ごみみたいでも何か混ぜて有用なものに変えたりするとか
そういうことを常に心がけて欲しいものなんですが…
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