[BlueSky: 5222] Re。 祝 4 周年  (虫虫・・・「蜘蛛の糸」を読んで)


[From] "gengorou" [Date] Fri, 11 Jul 2003 23:14:24 +0900

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   ☆ 青空メーリングリスト創設4周年、おめでとうございます。

        稚拙な考えを、恥も知らずに言って来た私です
       が、その時々に、意見などを頂きました。ありが
       とうございます。
       私が思い出すことは、世の出来事ではないですが、
       このMLでの、いろいろな方々の投稿です。
       その中でも、「共有地の悲劇」は、難しい問題で
       あるなと思い、特に、印象に残っています。

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「共有地の悲劇」では、「抜け駆け」という言葉が記憶に
残っています。
最近、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を改めて読みました。
なんか、「共有地の悲劇」に、似たものがありました。
やはり、よく分からないことが多いですが投稿します。


虫は虫なりに一つの考え 
*********************
「蜘蛛の糸」を読んで
*********************

  「蜘蛛の糸」の話↓
  http://www.mitene.or.jp/~takalin/text/kumono.htm
  「蜘蛛の糸」朗読↓
  http://www.koetaba.net/3book/akutagawa/kumonoito/kumonoito.html



「蜘蛛の糸」の話の最後に、
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  自分ばかり地獄からぬけ出さうとする、カンダタの
  無慈悲な心が、さうしてその心相当な罰をうけて、
  元の地獄へ落ちてしまつたのが、お釈迦様のお目か
  ら見ると、浅間しく思しめされたのでございませう。
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

と書いてあり、「お釈迦様はカンダタが自分一人だけ地獄
から抜け出そうとしていることを浅間しく思った」という
ように書いてありますが、カンダタの置かれた状況と気持
ちは、どうもそれとは違っている様なことが、別の場所に
書いてあります。

  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  もし万一、途中で断れたといたしましたら、折角
  こゝまでのぼつて来た、この肝腎な自分までも、
  元の地獄へ逆おとしに落ちてしまはなければなり
  ません。
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

カンダタは、自分一人だけ抜け出そうとは、考えてい
なかったようです。「細い糸だから、みんなが同時に
登ったら、自分までも落ちてしまう」と、いうような
ことを言ってます。
これを考えると、カンダタは、糸が、細い蜘蛛の糸で
はなく、ぶっ太いロープだったら、「おらおら、みん
なで登ろうぜ!」と、言っていたのではないでしょう
か。

そう考えると、やはり問題は「細い糸」の様に思えま
すが、実は、そうではないのではないでしょうか。

実際、切れるかどうかは、書いてないことなので分から
ない。分かることは「カンダタは切れると思った」こと。
つまり、、、元も子もない状況にカンダタはありました。
「細い糸に沢山の人がぶら下がる」を考えるとき、それ
は、論理的な思考の問題ではないのでしょうか。。。

もし、カンダタが3番手に登る人間だったら、どうでし
ょう。論理的な思考をするカンダタは「糸が切れる」と
思考し、登らなかったのではないでしょうか。。

元も子もない状況で、カンダタがとった行動は、、、、
「お前ら、登ってくるな!待て!切れるぞ!」という、
論理的に考えた、可能性というか、効果の結果を確信
しての行動(発言)、そいうことだったのではないの
でしょうか。。。

つまり、慈悲とか、思いやりとかでは解決できない状況
だと、カンダタは判断していたような気がします。

このことを考えると、この芥川龍之介の「蜘蛛の糸」で
芥川が漠然と捉えようとしていたのは、慈悲などという
ものの無意味さなのかもしれません。

このような「心情と現実」の問題は、事実、国家政策や
国連の場でも、多々、起きているのではないでしょうか。
現実問題として、慈悲では救えない状況や、思いやりで
は解決できない問題が、現実には多くある。そんなこと
が、脳裏に浮かんで来ます。

「蜘蛛の糸」の最後に、
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
  お釈迦様は極楽の蓮池のふちに立つて、この一部始
  終をぢつと見ていらつしやいましたが、やがてカン
  ダタが血の池の底へ石のやうに沈んでしまひますと、
  悲しさうなお顔をなさりながら、又ぶら/\お歩き
  になり始めました。
  −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
とある部分の「お釈迦様はじっと見ていただけ」という部分
と、カンダタが「みんな落ちてしまう」と考えたことを対比
させると、私には、「見た目と、現実は違う」とか、「机上
の空論」とか、「心情思考と論理思考」などという言葉が、
浮かんでしまいます。

−−−−

そして、「慈悲の心」のありかたも浮かんできます。慈悲の
心というのは、全ての人が、全員持っていなければ役に立た
ないような気がします。お釈迦様一人が持っていても、ある
いはまた、カンダタ一人が持っていても、なんの意味もない
というようなことも浮かんできます。


−−−余談−−−

  芥川龍之介が著した「蜘蛛の糸」の文体は、私には
  不思議な文体に感じました。それは、この出来事を
  語る者の語り口が丁寧であるからの様です。語り手
  は、けっして芥川龍之介ではないと、感じることが
  出来ました。そのために、読者である私には、お釈
  迦様とカンダタの存在。そして、出来事を見ている
  者の姿なき語り手の存在。そして、、このお話を考
  えた芥川龍之介の存在という三者が現れていました。
  そして、その三者の考えが、まったく一致していな
  い様にも感じていました。
  そのために、お釈迦様への疑い、語り手の出来事の
  解釈への疑いが、この蜘蛛の糸の中にあるような気
  がしてなりません。。


**************** ゲンゴロウ ********************************

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