[BlueSky: 5050] 虫は虫なり・・・平和運動


[From] "gengorou" [Date] Wed, 2 Apr 2003 00:18:04 +0900


ゲンゴロウです。

中澤さん、お考えを話していただきありがとうございます。
とても、よく内容を考えていただいているので、
とてもうれしいです。

私は、分からないからアレコレと考えていて、
やめとけばいいのに、その過程のものを発信してしまう。
思いつきを書いて、いつまでも考えたくないので、
すぐに出してしまう。だから、、
まったく体系的でないし面的に広く考えてもいない。
意見でもない。もうただただ線的に考えているだけ。
垂れ流しです。当然、内容はハチャメチャ。

しかし、他者から考えていただいたご意見を頂くと、
そのハチャメチャも少しは整理されてきます。
有り難いことです。
内容に対する返事は、気が付くことがあれば良いなと思うので、
よくメールを読んでから、また次の機会にさせて頂きます。
今日もまた、考えたいことがあり、考えたので、
それを先に書き、出します。



***********************************
虫は虫なりに一つの考え・・・平和運動
***********************************

【戦争は悪か】

平和運動にも様々な内容があるだろう。が、その中の多くは、
「戦争反対」というスローガンを掲げている。私はそのスロ
ーガンの元には、戦争は「悪である」という善悪問題として
戦争を考えている節があるような印象を受ける。

戦争では人が殺されるので戦争は悪であるとなっているよう
なので、戦争が善悪問題であるか否かを考えるとき、「殺人
は悪であるか」を考えると適当かもしれない。

私は殺人が悪であるという考え方は、論理的な思考から生ま
れた結果、たとえば今の法律のような考え方から生まれた観
念でしかないような気がする。

昔、まだ法が確立していなかったころ、殺人は決闘や敵討ち
の様に今ほどには「悪」とは考えられていなかったのではな
いだろうか。殺人者には「悪人」というレッテルは張られて
いなかったのではないだろうか。

私たちは法治国家の中で生まれ、近代的に洗脳されているの
で、殺人は悪だと疑いもせずに信じることが出来るが、そも
そも、その「悪」という観念さえも、おそらく社会規範から
生まれた観念であるにちがいない。
人間の本来の姿を考えると、戦争や殺人は善悪の問題ではな
い可能性がある。


【殺人の原因】

 戦争の原因、つまり争いによる殺人の原因には武器、未来
予測、利害、遺恨、無知、集団内の恐怖、裏切り防止、先守
防衛など、あれもこれもあるようだ。殺人を起こさないまで
も、それらの原因になる要素は私にもある。人間には、どん
な生き物よりもそれらがあるのではないだろうか。
(・・・戦争が無くならないわけだ。。。)

戦争や殺人は、罰則規定や罰則の執行機関のない国際社会に
置いては「悪」とは言えない。きわめて利害関係を考えた論
理的な思考から、行われたり避けられたりする人の行為に過
ぎないレベルにしかないように思える。

【真の平和運動とは】

 そう考えると、平和は、なかなかあり得ないことかもしれ
ない。戦争状態が普通であって、平和が異常なのかもしれな
い。そうであるなら、平和な時を戦争がない時などと、消極
的に考えては、平和は見えなくなってしまう。もっと積極的
に平和でいられる時を、あり得ないことだと認めて、時の政
府や地球の人に感謝をしなければいけないのかもしれない。

戦争の時だけの戦争反対の平和運動で「戦争は悪だ!」「戦
争反対」という単純なスローガンを掲げる平和運動は、人が
人である故に起こす行為、戦争に対して反対を唱える紛争行
為となってしまう。「反対だ!」「悪だ!」「愚かだ!」と
「相手を責めること」」は明らかに戦争と同じ根を持ってい
る。

真の平和運動とは、「平和をありがとう」の感謝を、平和で
いられるとき、普段からしなければいけないのかもしれない。
それが、本当の平和運動かもしれない。

□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
     ゲンゴロウ
       gengorou@m08.alpha-net.ne.jp
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


−−−−以下蛇足−−−−−

【法社会の姿と殺人】

法治社会は、法に背く行動をした者を摘発したり、告訴し、
裁判を行い、その結果において罰を与えるのだが、悪人はそ
のシステムを大いに利用している。まず犯罪が見つからない
ように行う。あるいは法すれすれの行為、言い換えるならば
法に守られた行為において悪を働く。そして告訴されたり摘
発されたりした場合、被害者は自分が為した行為でない行為に
ついての証拠を集め、調べ、整え、裁判所に提出しなければ
ならない。人は自分が居なかった場所で起きた相手の行為を
知ることはできない。それを法のシステムでは取っている。
そして犯罪者に罰は下されても、それで犯罪者にとってはチ
ャラになるのだが、被害を受けた者は被害は受けるわ、裁判
は時間も費用も膨大にかかるわで、それは決してチャラとは
言えない状況になる。実に犯罪者には有利な仕組みになって
いる。それが法治国家の姿だ。
この法治国家とは、法を置いて、国を治める仕組みであって、
国民の一人一人の安全を保障している仕組みからはほど遠い。
まだまだ、人間社会の仕組みは欠陥が多いのだ。

法律は、上記の様に、発生した犯罪には、みごとに無能をさ
らけ出す。法が出来ることは、人々の心に善悪の観念を置き、
それを悪の抑止力としたり、あるいは犯罪人に罰を与えて、
人々の心を納めるだけだと言っても言いすぎではないように
思う。

見方を変えると、法がある為に、この世界は複雑になってい
るとも言える。殺人や盗みが、誰も見ていない場所で巧みに
行われる原因を法が作っている。そして、適正な裁判は原告
に二次的な被害を与えてもいる。
度々、詐欺事件を起こす者は、法を楯にして、法を知らない
者を獲物にしている。それは、法が犯罪者を守っているとい
う状況にもなっている。

殺人は、法律を考えなければ、単に人の消去行為のような気
がする。その人の消去を恐れる者が我先にと他者を消去しは
じめ、社会が荒れない為に、法が考えられ、殺人が悪となっ
ているようだ。。









▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。