小宮さん (水銀の話はおいといて)
私は、高校時代に登校拒否(と当時は言っていた)になり、
1年ぐらい学校に行かず、結局中退しました。
(現在も、ある種の引きこもりみたいなものかも知れないし)
あのときの「ざらざら」した感じを、どう整理するべきかというのは、
ずっと私の大きな課題でした。
「そんなところで、そんなふうに勉強するのは、
別に私でなくてもいいじゃないか」
と思っていた記憶がありますが、自分でもよく分からなかったのです。
ところが最近、とても「あの」感じをうまく表現している
と思える一文を発見しました。
以下その部分を引用します。
ロシア語通訳・作家 米原万里さんのインタビュー記事です。
http://www.wendy-net.com/cyumoku/159.html
> 1つ1つの知識の断片はあくまでもお互いに連なり合う文脈を成しており、
>その中でこそ意味を持つもの。なのに日本の学校では、
>知識はバラバラに腑分けされて丸暗記するよう要求される。
> これは辛かった。ひたすら部品になり切れと迫られるようで、
>人格そのものが切り刻まれていく恐怖を感じました。
> 心配になりましたよ、私、死ぬまで日本には適応できないんじゃないかと
(笑)。
一旦学校を休み、「世間」からずれると、
なんだかもう、「世間」の反応とか、有様とか、全て嘘臭く思えてきます。
というか、実際嘘じゃないのか。
嘘で取り繕っているくせに、自分たちはそれを本当と
思っている、思おうとしている様に見えてきます。
もうどうしていいのか分からない、奈落の底を
覗いてしまったような感じ(ちょっと大げさ?)。
本当は何にもないですよね。
でも何にもなくてもそれでいいのじやないか?
(なんか涙がでてきたので終わり)
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| 荻野 行雄 ogino.yukio@nifty.ne.jp
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