[BlueSky: 4871] Re:4870 環境に対する一つの考え方


[From] "suka" [Date] Tue, 18 Feb 2003 14:05:09 +0900

土田さん

はじめまして。

土田さん:
> 私の様な素人にはちょっと理解し難い表現も結構あるのですが、
> 素人なりの考えも許されるかと発言してみる事にしました。

僕は、長野県自然保護研究所という県立の研究所で、昆虫生態分野
の研究員をしています。素人か専門家か、という分類では、専門家の
ほうに入れられてしまいやすい立場ですが、正直なところ、ほとんど
あらゆることについて、自分は素人だ、と日々実感しています。この
メーリングリストには、立派な専門家の方もたくさん参加していらっしゃい
ますけれど、環境のような幅のひろい分野では、素人か専門家かという
区別にあんまりとらわれずにやりとりをすることでお互いにうるところが
ある面も多いんじゃないか、と思っています。

このメールでは、
          自然保護の「保護」ということばについて、

僕自身がどんなふうに考えているかということをお話したいと思います。
土田さんのお考えのなかの一部分だけをとりあげてお話しするような
格好になってしまって恐縮です。ほかの部分については、コメントできる
ほどの考えがないせいですので、おゆるしください。

土田さん:
> 私には環境を守るという観点がありません。人間の生活を自然と出来る
> だけ調和させた方が良いという考え方はありますが、それと今の環境関係
> の方々が言うところの「保護」とは違う様に思います。有明海で例にとれば、
> 私にはムツゴロウを保護しなければならないという観点はありません。有明
> 海の自然を出来るだけ犯さないという視点は必要ですが、それとムツゴロウ
> の生存とを直結させる事は疑問だと思っています。環境という概念は人間が
> いなければ存在しません。自然の流れの中で今まで生き物は淘汰を繰り返し
> てきました。その事を良く考える事が重要だと思います。

驚かれるかもしれませんが、「自然保護」に関係した仕事をしている「専門家」
(研究者や国・国際機関などの行政担当者)の多くは、人間の生活を将来に
わたって好ましい状態に保つことをおもな目的としてその仕事をしています。
自然保護団体のようなNGO・NPOで活動されている方の多くもそうではないか
と思います。研究者であれば、生き物の淘汰についてもよく考えています。

けれども一方で、(日本であれば)「専門家」でない多くの方が、土田さんが
おもちになるのとよく似た疑問をおもちになることも事実です(僕自身、よく
経験します)。この理由のひとつは、英語をつかって国際的に議論されている
「自然保護」の内容と、日本語で「保護」と言ったときのことばのイメージのズレ
というか、ねじれにあるのではないかと僕は考えています。そこで僕は、人前
で「自然保護」に関係した話をするはめになったときは、できるだけ時間を
とって、次のような話をすることにしています。

「自然保護」ということばは、英語の「nature conservation」の訳語として
つかわれることがあります。ところが英語でいう「conservation」には、「保護」
ということばから感じられるのとかなりちがった意味合いがあります。
「自然保護」の「専門家」は、だいたい、この「conservation」を念頭において
話をしていることが多いのです。この「専門的」な意味合いをはっきりさせる
ときには、「conservation」を「保全」と訳します。それに対して、ふつうに日本語
で「保護」といったときにイメージしやすい考え方については、「preservation」
という英語があって、これを「保存」と訳します。

この「保全=conservation」と「保存=preservation」について、鬼頭秀一さん
は、沼田眞編「自然保護ハンドブック」(朝倉書店、1998年)で次のように
説明しています。
・・・「保全」とは、「…にそなえた節約」、つまり、将来の消費にそなえた天然
資源の節約のように、最終的には人間のために自然環境を保全しようという
ことを意味している。それに対して、「保存」とは、「…からの保護」、つまり
生物の種や原野を損傷なり破壊なりの危険から保護することを意味している。・・・

J・パスモアさんも「自然に対する人間の責任」(岩波書店、1998年、原著
は1974年)のなかでほぼ同じ趣旨の説明をしています。

上の鬼頭秀一さんの文は、このあと次のように続きます。
・・・つまり、人間中心主義から人間非中心主義への流れは、この「保全」から
「保存」への思想的転換を意味していた。・・・

けれども、この鬼頭さんの文章は、欧米の環境倫理思想という特殊なテーマを
とりあげているために、こういう話の流れになっているのです。実際には、
1990年代に、世界的にみればむしろ人間中心主義の立場に立つ「保全」
の考え方が大きな勢力となり、国際政治や各国の環境政策、環境保全運動
に大きな影響をおよぼすようになっています。

この観点を強調するためには、nature conservationを「自然保護」といわずに
「自然保全」というべきかもしれません。実際そうするひとも少数ながらいます。
僕もそうすべきか、と思っているのですが、「自然保全」は耳慣れないことば
ですし、いずれにしても「保全」の意味を説明しなければならないことは同じ
ですので、妥協して「自然保護」をつかってしまうことが多いです。

これは、「自然保護」ということばがすでに定着してしまっているので、それに
ひきずられてしまうということもあります。

世界を代表する自然保護団体に
  IUCN 世界自然保護連合 と
WWF 世界自然保護基金
があります。どちらも日本語では「自然保護」とつかっています。けれども、
IUCNは正式にはThe World Conservation Unionといいますし、
WWF(World Wide Fund for Nature)もThe Conservation Organizationと
ホームページ上で名乗っています。

僕の勤務先 長野県自然保護研究所も、英語では
Nagano Nature Conservation Research Instituteといいます。

つまり、これらの組織がつかっている「自然保護」は、実は「自然保全」の
意味なのです。日本語としては、あまりよくない使い方かも知れませんね。

もし「保護」をそのまま英語にするなら「protection」でしょうか。

さて、今世界的には「保護」や「保存」よりも「保全」の考え方が主流になって
いると書きました。これは、1992年にリオデジャネイロでひらかれた
国連の地球サミットの影響が大きいと思います。このサミットでは、
生物の多様性の「保全」とその構成要素の持続可能な利用などを目的
として、「生物の多様性に関する条約」が署名されました。日本も批准
しています。これは、かなり人間中心の立場を強調した条約です
(国連のやることですから、当然ですが)。

この条約の本文は次のホームページにあります。
(日本語)
http://www.biodic.go.jp/biolaw/jo_hon.html
(英語)
http://www.biodiv.org/convention/articles.asp

この条約の前文の冒頭に、次のような表現が出てきます。

 締約国は、
 生物の多様性が有する内在的な価値並びに生物の多様性及びその
構成要素が有する生態学上、遺伝上、社会上、経済上、科学上、教育上、
文化上、レクリエーション上及び芸術上の価値を意識し、

The Contracting Parties,
Conscious of the intrinsic value of biological diversity and of the
ecological, genetic, social, economic, scientific, educational, cultural,
recreational and aesthetic values of biological diversity and its components,

「内在的な価値」だけは、「保存」に通じる考え方ですが、それ以外はすべて
人間にとっての環境の価値をあげています。

また、この条約の「目的」を記した第一条は、「保存」ではなく「保全」という
ことばをはっきりとつかっています。

第一条 目的
 この条約は、生物の多様性の保全、その構成要素の持続可能な利用及
び遺伝資源の利用から生ずる利益の公正かつ衡平な配分をこの条約の関係
規定に従って実現することを目的とする。この目的は、特に、遺伝資源の取得
の適当な機会の提供及び関連のある技術の適当な移転(これらの提供及び
移転は、当該遺伝資源及び当該関連のある技術についてのすべての権利を
考慮して行う。)並びに適当な資金供与の方法により達成する。

The objectives of this Convention, to be pursued in accordance with its
relevant provisions, are the conservation of biological diversity, the
sustainable use of its components and the fair and equitable sharing of the
benefits arising out of the utilization of genetic resources, including by
appropriate access to genetic resources and by appropriate transfer of
relevant technologies, taking into account all rights over those resources and
to technologies, and by appropriate funding.

この条約の規定にもとづいて、日本でも生物多様性国家戦略がつくられ、
行政的な方針が示されていますが、あくまで主目的は「保全」です。

生物学の研究分野としては「保全生物学(conservation biology)」という分野
が最近発展してきました。ここでも、「保全」ということばがつかわれています。

まだまだ書き足りないことがあるような気がしますが、別な面で少し気になる
こともあります。それは、日本人の伝統的な生命観や倫理観のなかには、
仏教や神道の影響をうけたものがあって、それは「保全」を前面に押し出した
人間中心の考え方だけではわりきれないところもあるのではないかという
ことです。とはいえ、日本は政教分離の原則に立った世俗国家ですし、
自然科学の考え方は仏教や神道と相容れない部分もあると思いますから、
環境政策や環境科学をどのようにそうした伝統的価値観とおり合わせて
いくかにはむずかしい問題がのこされていると感じています。

この最後の点については、特にみなさんからご意見をいただければさいわい
です。

何かご不明な点などがありましたら、遠慮なくおたずねください。

それではまた。

-----
須賀 丈(すかたけし)
長野県自然保護研究所
電話026-239-1031
Fax026-239-2929



▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。