荻野さん、
おはようございます。
HPを訪問して、書かれたご意見を拝見して驚いています。
真剣に議論されているのは分かりますが、かなり現実離れ
のお話が述べられているように感じました。
> 当然農作業の経験のある農家の子弟が、
> 都市部へ出ていった結果の今の社会でしょう。
産業構造基盤がシフトした結果の人口の都市集中と
見るべきであり、都市部に出て行った農家の子弟
とは農業と「訣別して」移動した者を指すものと思います。
> 教育とは要するに情報の伝達なので
> 情報が変質しないように、妙な抵抗や、加速の生じないように、
>
> ただその情報をそのまま受け取れるようにすること。
> それが基本のはずだと思います。
このご意見には賛成できません。
情報のあやふやさ、視点を変えれば姿が違ってくる性質、
そして受けての状況で大きく変質することを踏まえれば、
伝達情報をそのまま受け取るのは記憶メディアだけの
世界であると思います。人間の記憶装置は相当できの悪い
ものと思っています。勘違いや記憶違いなどは日常茶飯事
です。
情報発信する側からは明確な意図的操作が行われます。
学習指導要領や教科書検定などは、その象徴でしょう。
それを極端に、露骨にしている、世界各国で行われている
原理主義に基づいた教育の怖さは否定できません。
数十年前まで大多数の科学者が信じていたことが、新しい
情報や解釈の変更で大きく変化しています。地球のプレートの
運動については1970年代に理解が変わりました。地質時代の
大絶滅の原因については1980年代に大きく変わりました。
生命の進化系統のルーツについても同様に変化しています。
遺伝子の実体についての理解は1950年代に大きく転換し、
1990年代に発展しました。このような科学で基本的な理解の
変貌を自分が生きている間に見てきました。これからもさらに
変化し続けるでしょう。
つまり、ある時点での理解に基づいた情報は常に暫定的な
ものであり、絶対的なものではないという基本認識を持てば、
> 教育とは要するに情報の伝達なので
> 情報が変質しないように、妙な抵抗や、加速の生じないように、
これはとうてい無理な注文です。
Masashi Yamaguchi
Faculty of Science
Univ. of the Ryukyus
Nishihara, Okinawa
903-0213 JAPAN
(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。