[BlueSky: 455] 平和の定義


[From] "中野 美紀" [Date] Mon, 16 Aug 1999 14:26:20 +0900

ゲンゴロウさん、MLの皆さん、こんにちは。
中野です。


ゲンゴロウさんwroute
>>戦争が起きたときは
>>「目に見える結果でしかない」のではないのでしょうか。。
>>「戦争は平和の中から始まっている」なんです。
>>だとすれば「戦争のない時が平和」は明らかに間違いなんです。
>>もっというと、
>>「平和なときに戦争の芽は大きく成長していて、
>> 目に見える毒の花が咲いたときが戦争」
>>で、これでは私、息子のために困るんです。

前にも書きましたが、愛とか平和とか、
こういう言葉について、私は広い定義をしたくないのです。
愛と正義と平和の為にたくさんの戦争が行われてきましたし、
どの国も、どの政党も、これらの言葉を合言葉に掲げています。
ついでに言うと、真理や真実と言う言葉もあまり好きではありません。
以前はとても好きでしたし、今でも憧れはあります。
でも、決してたどり着くことのできない、宇宙の果てのような存在だと思っています


私が守りたいのは第一に「戦争のない状態」で、そういった定義での平和です。
たとえ決闘の寸前、互いがにらみ合っている状態でも、
引き金を引く前なら、まだ決闘をやめることが可能です。
その平和を守るために、戦争が起こる前にその芽をつむ努力は絶えず必要だと思いま
す。
でも、今の日本で起こっていることは、
”戦争は起こるかもしれない、だから備えを”
と言って、猛スピ−ドで準備を進めているわけですよね。

ゲンゴロウさんがおっしゃるように
>>戦争になることから思考を始めると戦争はいつになっても
>>なくならないのではないかという感じがします。

ここから憲法前文にある不戦への決議が生まれると思うのですが、
いざ近隣の動きが怪しくなると、あっけなく現実の前にひれ伏してしまう、
憲法9条の理想というのはそんなにちんけなものだったのでしょうか。
答えが二者択一でしかないとは思いませんが、
戦争か屈服か、と問われれば私は後者を選びます。

>>平和記念館(健康記念館)に戦争(病気)を展示するだけでは、
>>駄目なのではないでしょうか。

平和運動のあり方には、私も疑問を持っています。
国旗国歌法案についても、いわゆる平和運動が罪なき一人の校長を追い詰め、
国家論者(?)に逆手にとられてしまったと思います。

>>で、「平和教育」は、戦争を教えることではなく、
>>秩序の維持の難しさや、加害者意識の確立や、人間の錯覚や、
>>価値観の本質、物事を動かす本質の曖昧さを教えることだと
>>思います。

誰が誰にどう教えるのか難しい問題です。
でも議論の場と議論のベ−スを整えることはとても重要だと思います。
国旗国歌で愛国心を強制し、盗聴と背番号で国民を監視できる法律が成立してしまっ
たことは
自由な議論の場を奪うことになる、と恐れます。
また、今朝のサンデ−モ−ニングで今日(8/15)が何の日か知らない若者が
映されていましたが、最低限の議論のベ−スが崩れていることに強い危機感を抱きま
す。
たとえ分数の計算ができなくても、日本の総理が誰だか知らなくても、
8/15が何の日か、日本人なら知っておいて欲しい。
こういった人達も私と同じ1票を持ち、
世論調査の*%の数字の中に含まれるのはたまりません。

>>「平和記念館」には、戦争を回避できなかった歴代の責任者の
>>写真を展示すればいいのではないかと思います。

それは名案ですね。
そして、なぜ回避できなかったのか、どうすればよかったのか、
もっともっと考えるべきです。


>>私も、議論は苦手なのです。(黙っちゃうタイプです)
>>でも、我が子を守りたい一心です。
>>我が子を守るなら周囲の環境を、周囲の環境にはその周りの環境を
>>よくしたいんです。
>>ぜったいに我が子だけが幸せになるなんてことは不可能ですから。
>>中野さんも同じですよね。(同意を希望)

もちろん、同意いたします。
そうでなければ、このようなMLに参加し、議論する意味がありません。


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