[BlueSky: 451] 決別は可能か:Re 440,442,449,450


[From] "kurita siro" [Date] Sun, 15 Aug 1999 20:35:13 +0900

ゲンゴロウさん、山本さん、中野さん、BSMLの皆さん: 識粛安@です。

傾いた西日に影を引いて、子猫を追いかけて笑い転げている思思には、この日のこと
はいずれ教えましょう。

皆様のご意見、拝読させていただきました。
それぞれの思いが、痛いように伝わってまいります。

私は引用した菊川静の考え方に共感します。
かなり長くなり恐縮ですが、紹介させていただきます。

菊川静(1973、私家本)の「草と木と花と風と」の一節です。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ヒトの命を奪うことが許されてよいのか。
しかし、いかに否定しようともヒトはヒトの命を奪ってきた。
歴史に残るジェノサイト数え切れない。
正義という言葉が好まれる限り、殺人者はこれを利用し続けるだろう。
いかように言おうとも、ヒトはこの地球上の生き物のうちで、もっとも悪賢い殺し屋
である。ころし、殺し、殺し続けて、累々たる屍の上に、その、いわゆるすばらしい
文明を築き上げてきたのである。
モンゴルの栄光も、ナポレオンの栄華も、第三帝国の輝きも、大英帝国の残照も、ど
れもこれも血塗られた屍を褥としている。
人類の平和のためにと、偉大なる理想のためにと、永遠に殺し続けていくのであろ
う。主義主張のために戦い殺し合い、子を殺し親を殺し、兄弟を殺し、友を殺し、恋
人を殺し、いつまでいってもきりが無い。
中略
正当な(もっともらしい)理由さえあれば、何百何千万の屍を積み重ねようともかま
はないのである。誰か一人がどうしても生き残りたければ、そのための殺人は必然で
あろうし、またその結果も許されてきた。
もっとも、許すのは生き残った人間なのではあるが。
正義は常に勝者に味方する。
中略
私は血塗られたヒトになりたくない。未だ私の手は私以外のヒトの血で汚れてはいな
い。
意気地なしといはれようとも、男の屑といはれようとも、私の手はヒトの血でぬらし
たくない。
殺人者になるよりは、死者となるほうを選ぶ。侵略をしたい人間には勝手にさせよ
う。私を殺すというのなら、それもいたしかたあるまい。
抵抗をして殺人を為すより、私にはそのほうがよい。」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

憲法第2章第9条を選択した日本国民は、このように決断していたはずです。

*それから、私は国家は家族の延長あるいは集合ではなく、効率的な収奪機構と悟っ
た一部の人間により組織されたものと捉えております。

では-----
shisuan@msf.biglobe.ne.jp






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