[BlueSky: 4490] 既存事業への愛着についての喩え話


[From] Minato Nakazawa [Date] Sun, 28 Jul 2002 03:16:20 +0900

青空MLの皆さん

中澤@山口県立大学です。
このところ,いわゆる改革派の人たちによって,抵抗勢力と呼ばれる人たちが
なぜ抵抗するのか,ということをつらつらと考えていて,事業への愛着がある
からじゃないか,と思うに至りました(念頭においているのは,長野県の浅川
ダムですが)。以下,webページ(http://phi.ypu.jp/damlink.html)に書いた
ことを転載します。

===(ここから)
協議を重ね,長年にわたって手塩にかけて育ててきた事業が,
完成が見えた段階になって,「計画にまずい点があった」と言
われて中止されたら,仮に,かなり合理的な理由が示されたと
しても,「これまでの努力はなんだったんだ」という気になる
のは,たぶん人間として当然だと思う。しかも,今回示された
中止理由は,一目瞭然のものではなく,B案の方がどちらかと
いえば良い,というものだ(答申では)。あまり喩え話をする
べきではないのかもしれないが(不謹慎だと思う方がいたらご
めんなさい),技術論・資質論・政治手法論といった面倒なこ
とを抜きにして,事業への愛着を説明するために,喩え話を書
いてみる。

学校の文化祭のクラス参加企画として,例えばお好み焼き屋を
やろう,と一所懸命盛り上げてきた生徒がいて,まあ自分が働
くんじゃなければいいか,という程度の人が多いクラスの皆
(でも少しは,お好み焼きなんて大量に作って売れなかったら
どうするんだ,という反対派もいたりする)から資金を集めて,
学校から補助金をもらって,材料の小麦粉も卵もキャベツも肉
も買ってきたとする。そこへ,「この学校の文化祭は先輩がや
ってた企画をなぞってるのが多くて面白くないし,時代遅れだ
なー,みんなこれで面白いんだろうか?」と考えている転校生
がやってきて,「たぶん客層とか考えると,お好み焼きより,
クレープと肉野菜炒めを2つの店に分けてやった方が無駄が少
ないし,うまく行けば安上がりかもよ(でも失敗したら無駄も
出るし,損をする可能性はゼロじゃないけど)?」と言い出す。
なるほどー,クレープの方がなんか格好いいしね,と深く考え
ずに賛成する人もいて,クラスの皆がそっちに靡いてしまった。
じゃあ,専門家に聞いてみよう,とお好み焼き提唱者が言い出
して,町のお好み焼き屋とクレープ屋と中華料理屋を連れてき
て,クラスのお好み焼き派代表とクレープ+野菜炒め派代表も
入って議論したら,どちらかといえばクレープと野菜炒めの方
がうまく行く可能性が高そうだからそっちにしようよ,という
ことになった。

たぶん,問題の質は全然違うけれど,これと似た状況じゃない
かと思う。愛着をもってやってきた事業が,完璧でもない計画
によってつぶされてしまう,という喪失感・挫折感は想像に難
くない。提案して準備を進めてきた生徒だけじゃなくて,お好
み焼きの作り方を勉強してきた人だって,えー,これからまた
クレープや肉野菜炒めの作り方を勉強しなくちゃいけないのか,
これまでの努力が無駄になったじゃないか,と思って反発する
だろうし,怒るだろう。でも,クラスの多数の意志が動いてし
まったなら,仕方がないのだ。前に決めたじゃないか,という
論理は通用しないのだ。

もし,お好み焼きを準備してきた人たちを不幸にしたくなけれ
ば,まずその人たちを説得して,企画を自らもっと練って貰っ
た方が,大勢で議論する必要もなかったし,改善された企画に
よってクラス企画の収益はスムーズにあがったかもしれない。
見かけ上はクラスの平和も保たれる。でも,説得を受け付けな
かったらその手は不可能だし,それでは多くの生徒が主体的に
参加していない状況は変わらないし,他のクラスは変わらない
のだ。文化祭全体のレベルアップは達成できない。ところが,
こうやって強烈な提示をしたことで議論が起これば,他のクラ
スでも,このクラスの議論がきっかけで,企画について真剣に
議論するようになって,皆が主体的に参加するようになって,
文化祭の企画が充実した,となれば,転校生の狙いは成功した
ことになる。それに,たぶん,生徒全員が,文化祭に参加する
とはどういうことか,ということが主体的にわかって意識が向
上する。

開発と環境という問題においては,誰もが他者ではありえない。
だから,コミュニティ構成員はコモンズについてのコミュニテ
ィの合意形成過程に主体的に参加しなければならないと思う。
たぶん,これからの公共事業というのは,民意を反映してダイ
ナミックに変わっていくしかないのだと思う。このことは,諫
早湾の干拓事業のような,状況が変わったのに既に決まってい
るからというだけで継続実行されてきた公共事業に対して,そ
れはあまりにも馬鹿らしいんじゃないか,ということに一般市
民が気づき出した以上,当然の流れだろう(※)。適宜見直し
をして,問題があれば中止するべきなのだ。それでも,愛着と
いうのは,どうしようもない心の動きだ。自分の所有物ではな
い公共事業でもこうなんだから,自分の所有物を制限せよ,と
いう地球温暖化対策「長野モデル」が進める脱マイカー通勤に
至っては,もっと強烈な反発がくることが予想される。環境問
題を解決するための妥協点を探る上で,実は最も困難な課題が,
愛着を克服することかもしれない。

_____
(※)その背景にあるのは,未熟な技術への不信感である。18
世紀から20世紀にかけての先進工業国では,人知の万能性とい
う幻想がはびこっていたのだが,20世紀後半になって,原発の
事故,高速増殖炉の頓挫,PCB汚染,フロンによるオゾン層破
壊,温室効果ガスによる地球温暖化,抗生物質の濫用による多
剤耐性菌,安易な遺伝子組み替えが予期せぬ毒物を作り出して
しまった昭和電工トリプトファン事件等々,未熟な技術がもた
らした解決困難な問題が多数噴出したことにより,一般市民で
も,盲目的な技術信仰を失ったということなのだ。完璧に制御
できる技術などというものは,非線型の関係が絡んだシステム
では,ほとんどないのだということを,複雑系の研究は明らか
にしてくれた。

そういう背景のもとで,副作用があることがわかっているか,
あるかないかすら予想できないような技術であれば使わない方
がましだ,というのが最近の世論だと思う。だから,何らかの
事業を計画して,それを実施したいときに,そんな必要がある
の? 十分な影響予測もしていないのに本当に安全なの? 副
作用はないの? と問われたら,実施したい側が十分な説明が
できなくてはいけないのであって,事業に反対する側に代替案
を出せ,というのは筋違いなんじゃないかと思うのだ。いくら
規模が大きくないから法律上は該当しないといっても,環境影
響評価法の精神は,事業者に説明責任があるという点にあるの
で,それが第三者アセスでなくて事業者アセスだから不十分だ
とまで言われている時代に,いいことをしてやるんだから黙っ
てみてろという態度は,一般市民から受容されないだろう。
「脱ダム宣言」の理念が多くの支持を集めているという事実は,
そういうことを意味するのだと思う。

多くの開発の場面で,実際に技術が未熟なために信頼するに足
る予測ができない上に,立場や価値観によって,ありうる可能
性の中でどれを選択したいと思うか,という判断は違ってくる。
つまり,唯一絶対の正解はない場合が多い。そうなると,市民
一人一人がきちんと情報を集め,自分で判断して合議により意
思決定する以外に,意思決定が正当化されうる根拠はなくなっ
てくる。だから,一般市民を蚊帳の外においたやり方は,如何
に短期的目標達成が早くても,正当化されない。一見遠回りに
みえても,市民一人一人の主体性を向上させるための努力こそ,
たぶん真の市民社会への近道ではないかと思うし,それ以外に
環境問題が解決される可能性はないと思う。如何だろうか?
===(ここまで)

----
Minato Nakazawa <minato@ypu.jp> http://phi.ypu.jp/
Associate Professor for Public Health and Informatics,
School of Nursing, Yamaguchi-Prefectural University
Phone +81-83-933-1453 / FAX +81-83-933-1483


▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。