[BlueSky: 4486] Re:4484 モノと心と


[From] "Yoshimura Shigeki" [Date] Fri, 19 Jul 2002 20:31:47 +0900


----- Original Message -----
[BlueSky: 4484] Re:4481 モノと心と

> > ふつうは要るものの中に要らないものが
> > 混じっているからではないでしょうか
:
> > 今日もまた職場で得体の知れない物質が入ったお菓子を
> > どうぞ召し上がれとにこにこして配られたりしましたが
> > ありがとうとはいえずに黙ってもらってお預けたらふく食いました
>
>  アンバンドル出来ない形に成っているのなら『要らないモノ』な
> のではないでしょうか?。中に入っている致死量の毒は要らないけ
> ど団子が欲しいので毒入り団子を毒入りだと知りつつ食べちゃう、
> なんて人は居ないでしょ。

毒入りと知りつつ贈っちゃうなんて人もいないんでは…

アンバンドルできない混ざりものは「要らないもの」でなく
配慮不足や無知無分別によって
「無駄になるもの」で「台無しになるもの」と思われます

>
>  もっとも、モノ自体とモノに添えた心はアンバンドルし難いかも
> しれませんが、決して不可能では無いでしょう。昔、菓子折を貰う
> と、『じゃ、これはもう俺のモノだね』、と言って、『つまらない
> ものですが、お召し上がり下さい』、と菓子折を持って来た人に勧
> める人が有ったそうです。要は、言い方でしょう。もっとも、そう
> いう対人技術はどんどん失なわれて行っていますし、時代と共に要
> 求される技術も変わって行くので、開発が必要なんでしょうけど。

それでは贈った心遣いが切り捨てられ無駄にされていると思われます
その小手先の技術でなにやら台無しになっているように思われます

>
>
> > やはり価値を下げるものを混ぜる場合には
> > アンバンドルできる形で行うべしということだと思われます
>
>  肯定。と言う訳で、モノと心は別だ(アンバンドルできる)とい
> う信念を持つべきだ、という話に成っていたと思います。

ものと心で分けて切るのが間違っていると思われます
そうやってわざわざ別にして分けてしまうからあとで
「モノの受け渡しという行為に心を感じるべき」
と再び「べき」っと無理にくっつけようとすることになるわけで…

ものとこころは別でなしとは信ずるまでもなく自然であり
だからそこで切るより心を砕くのがいいと思われます
心は切ると痛いですが砕くと心地よいです

配るお菓子は受け取られて当然とばかり
どうぞ食べてねと机に置いていってしまう無知無分別が
受け手が断るのを難しくし配られた菓子を無駄にしひいては
配ってやろうとした贈り手の心遣いをも無駄にするので
だから渡すときひとこと「いかがですか」と心を砕くだけで
「ありがとうでも結構です」と受けつつ断るアンバンドルになり…

そのような「ものごころ」こそものとこころにおける無分別な分別であり
受け取りを断っても受け取れる絶対矛盾の不思議であり…

作るものにせよ贈るものにせよ捨てるものにせよ
アウトプットの分別には心を砕くのがよいと思われます
世にものが余り無駄にされてるというのは
怠惰で横着で砕き足りない心の反映と思われます


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