[BlueSky: 442] Re:440


[From] GENNGOROU@aol.com [Date] Sat, 14 Aug 1999 14:07:05 EDT


山本さんへ、はじめまして。

                  GENNGOROUです。

このメールの内容: 平和について

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> 山本@千葉です。
> わたしはまだ独身で家族も子供もないのですが・・・
> 徴兵制に関して別の見方を提案してみます。
> (わたし自身は戦争反対論者ですのでお間違いなく)

山本さんの「別の見方を提案」「戦争反対論者」であること
納得しました。前提として忘れないで考えさせていただきます。
また、提案していただき、考えさせていただいたことに感謝します。

> 要するに、徴兵制の根本には”家族愛”があると思います。
> ですから、徴兵に行かれた先祖様は、それが判っていたからこそ
> 生物がもっともおそれる”死”に直面するところに行ったのだと考えます。

おっしゃるように、
戦国時代に領土を守るために普段耕作をしている農民が、
死ぬかもしれない戦に参加したのは、おそらく、戦に負けると
農地を隣の領民に根こそぎ奪われるからでしょう。
その際、愛する女は犯され、子どもは目の前で殺されてしまうことを
農民が想像すれば武器を持つに決まってます。

でも。。。
戦争になることから思考を始めると戦争はいつになっても
なくならないのではないかという感じがします。
(あえて、仮定していただいたことに感謝しながらの発言です)

考えながら書いていますので、
ちょっと遠回りをさせていただきます。
先に、分からないこと妙なことを考えてみます。

まず、妙だと思うことは、、、
「平和」という名の「施設」や「催し」で、その
内容はすべて戦争の傷跡の生々しい写真や手記です。
まるで、平和の定義が「戦争でないとき」というがごとしです。
「これはなに?」と聞かれて、「あれじゃない物」では、
駄目なのではないでしょうか。
平和記念館がまるで「戦争博物館」です。これが、とても奇妙です。
もしかすると「平和」が何であるかを明確に出来ていないのでは
なかろうかと感じてしまいます。
人間(私も)はまだ「平和とはなにか」を知らないからではないか
と、思ってます。

次に、奇妙だと思うことは、
第二次世界大戦でもほとんどの国民が平和を望んでいたのに
戦争が起きたことです。
このことをはっきりと認識し、言い方を変えてみると、
「平和を望むと戦争になるのではないか」です。
私は、これが事実だと思います。
もし、仮に、「戦争反対!子どもに平和な時代を」と賢明な女性が、
唱えれば唱えるほど戦争に向かうとしたら、
また戦争を怖がる子どもが、「僕、戦争はいやだ!」と考えるほど
社会が戦争にその舵をむけるとしたら、私たちは、大きな過ちを
していることになります。

上の二つのことを踏まえて考えてみると、、、
私たちは間違っている可能性があります。

では、なにが間違っているかと考えると、
戦争が起きるときに私たちは被害者の様にいつも感じていますが、
実は加害者なのではないかと言うことです。

どういう風に加害者かと言うと、
戦争を回避出来ない愚か者という加害者です。
経済、科学を高度に発展させる脳があるにも関わらず、
戦争は避けられないということは、
「出来る物が、やらない」という責任があるので、加害者です。
では、被害者は誰か?
戦争に行く兵士であり、爆撃を受け死ぬ者、愛する者をなくした者です。
つまり、私たちは加害者であり、被害者なのだと思います。

でも、いつも被害者意識しか持ち合わせていないのではないでしょうか。
私、思うのですが、
強いて被害者意識を捨て、加害者意識を持たなければいけないと思います。

私が、このような加害者意識に立って考えると、
戦争になったらこうなるからこうなるは考えたくありません。
戦争になるということは、人間が人間としての戦に負けたときと
考えたいです。

どうしてもうまく言えませんが、、、
戦争を想定するのではなく、「決して戦争にしないぞ」という
強い決断を持ち、もし戦争になったらもうあきらめ、日本は自決する
という覚悟を持って外交政策や、近隣諸国とのつきあい、選挙、発言、
教育をしなければいけないのではないかと思います。
そうしない限り、戦争は何度も起こると思うのです。

「愛があるなら戦争で戦え」じゃあいけないと思うのです。
「愛があるなら徹底的に戦争を回避」だと思うんです。

で、「平和教育」は、戦争を教えることではなく、
秩序の維持の難しさや、加害者意識の確立や、人間の錯覚や、
価値観の本質、物事を動かす本質の曖昧さを教えることだと
思います。
「平和記念館」には、戦争を回避できなかった歴代の責任者の
写真を展示すればいいのではないかと思います。

恐怖を植え付ける展示物は、戦争に絶対に勝利する気持ちも
育ててしまうと思います。そして、脳を戦争回避ではなく
勝利するために使わせてしまうと思います。

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GENNGOROU。。















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