[BlueSky: 4341] Re:4336 「環境問題」と「時間と空間」と「人間」と・・・・・


[From] "gengorou" [Date] Wed, 5 Jun 2002 00:26:59 +0900




田中さん、こんばんは。ゲンゴロウです。

【ゲンゴロウ】
> > ここに二つの命題?が出ました。
> > 一つは、「人間には私たちが想像している以上に強い「愛」
> > があり、私たちの営みに深く関係している」です。
> > もう一つは、「環境問題の場合は利害関係が複雑だから、
> > 「愛」が理由で環境を守る、というのでは意見が対立した
> > ときに押し切れない」です。

【田中さん】
> 生意気なことを言うようですが、思ったままを。。。
> 「愛」は、与え、与えられるものです。
> 全ての人が「無償の愛」を与えることができるなら、
> 理想的な平和な世界が実現しそうです。
> でもたいていの人は、誰かに愛を与えたら、
> 相手にも見返りを求めてしまいます。
> 与えた分か、それ以上の愛が返してもらえない時、
> 心に、「恨み」「憎しみ」、というマイナスの思いが
> 生まれてしまいます。
> そうならないためには、
> 与えられた愛に「感謝」することです。
> 愛を与え、受けた愛に感謝を返すことで、
> 対等なギブアンドテイクの関係ができます。
> 人は必ず、自然の恩恵(「愛」)を受けて生きています。
> 日々、自然から「愛」を与えられて生きていることに、
> 「感謝」する気持ちを持つというのは、どうでしょうか?
> 愛するだけでは解決しない「対立」や「利害関係」も、
> 感謝する心をプラスすれば
> 解決できることもありそうだと思いませんか?

なるほどです。
「感謝がない」と貰(もら)うものを貰っても貰った
ことに気が付かない。貰ったことに気が付かない人間
は、飽くことを知らない。。飽くことを知らない人間
は、いつも何かを欲しがっている。いつも何かを欲し
がっている人間は餓鬼と呼ばれますね。餓鬼は地獄絵
のように常に飢えと渇きに苦しむ亡者になる。。
悪たれ小僧をガキと呼びますが、子どもに可愛そうで
すね。感謝を知らない大人こそがガキ、いや、餓鬼で
すね。

「解決できることもありそう」は、この餓鬼が多くい
るこの世の中では、あまり期待できそうもないように
私には思えます。
しかしながら、田中さんがおっしゃるように、「感謝
の心の効果」を誰もが知らなければ、どんな策も効力
はない様です。しかし、、、
次々と生まれてくる、この地球の子どもに、そして、
大人に、この「感謝の心」を体験的な実感として教え
るのは、容易なことではないような気がしてます。
この世界は弱肉強食の世界で、少し油断をすると、身
ぐるみはがされてしまいます。そんな話が中国にあり、
それを芥川龍之介が「羅生門」に描いていましたね。
つまり、餓鬼は餓鬼の世界に伝染するようにはびこる。
幸運にも生きている間に、餓鬼ではいけないと、それ
を知っても、その時は、死の直前だったりするのでは
ないでしょうか。。
見る人の目から見ると、地獄とは、この人間の現世だ
ったりするような気がします。

こんな考えも持つ私が「愛」なんていう言葉を口にす
るのは矛盾しているのですが、(田中さんもそうだけ
ど・・・)、私が言うところの「愛」は、博愛ではな
くて、人間、「誰かは誰かを愛している♪」という意
味です。その限定されている「愛する者」の為に人間
は餓鬼になっている可能性があるかもしれないという
ことです。もっと言ってしまうと、人間は自分の為に
は餓鬼になる人間もいるけど、多くは、愛する者の為
に餓鬼になってしまっているのではないだろうか、と
思うのですが、、甘い考えかなぁ〜・・・

> ゲンゴロウさん[4314]:
> > 今の日本などは、ある強いルールに守られているの
> > で、そのルールの重要性が忘れられていますが、実
> > は、「基準がない」中での「対等」だという意識は、
> > ルールを必要としない考え方でもあると知らなけれ
> > ばならないと私は思います。
> > どうでしょうか?ご自分を観察して、そういう既存
> > のルールに反発するような想いが多分にあるのでは
> > ないでしょうか?(違っていたらスミマセン。)
>
> 人間が暮らしやすいように「つくった」ルールと
> 自然の摂理(ルール)はかけ離れたものだと思っています。
> 既存のルールが人間の作ったルールのことを指すのなら、
> 私は反発を感じているようです。
> 自然のルールを軽視して、人間が都合のいいように
> どうにかしようというのは、虫が良すぎると思います。
> (私の解釈が違っていたらすみません。)

今、私のパソコンの横には、そのルールについての
メモ書きがあります。いつか投稿しますが、ルール
とは、サッカーのルールの様に、楽しむためにある
と私は思っています。しかし、田中さんがおっしゃ
るように、あくまでも人間が楽しむため。。。
ですが、もし人間が、この自然環境がなければ楽し
めないと、自然に感謝して、自然環境もルールに含
める思考があれば、そのルールもまんざらではない
と私は思います。(楽天的過ぎますでしょうか・・)
ところで、
一つ前のメールでも言いましたが、自然のルールは、
ルールのないルールであると思います。田中さんが
おっしゃるように摂理のようなものだと想いますが、
それは、作った者がいない「奇蹟」と呼んだほうが
よいかもしれません。この地球に備わった奇蹟に、
感謝することがなければ、本当に人間は愚かな存在
と言えるかもしれませんね。
それが、以下の田中さんの想いのような気がします。

> 自然界のルールでは、愛と感謝は
> 切っても切り離せないものだと思います。
> 必要以上の愛は求めず、
> 与えられた愛に感謝し自らの命にかえ、再び与える。
> 常としてそれが繰り返されていると思います。
> それを乱しているのが人間なのではないでしょうか。

> それから、ご近所の養豚場の豚ですが、
> そこの飼い主さんが良い人なのかもしれませんね。
> 豚が飼い主に愛を感じ感謝していれば、幸せかもしれません。
> BSE関連のニュースで見る牛舎の資料映像は、
> どの牛も体が汚れて画面のこちら側まで臭いそうですよね。
> 狭い所に繋がれて、何だか分らない合成飼料を
> 食べさせられるより、
> 自由に歩き回って、自然のルールの中で育まれた草を
> 好きなだけ食べられる方が幸せそうに見えます。

これは難しいです。それは、人間からみた幸せかも
しれません。ブタのように、自然界では他の猛獣に
食べられる動物は、自分の匂いを消してくれる臭い
環境を好むかもしれません。もしかするとですが・・・

ゲンゴロウ。。。












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