阿部@イジャペルです。
at [BlueSky: 4254] Re:4246 (ト)と科学 澤口 さん
> 阿部さんの論理に従って考えると、
> >> 科学自体は、論理的理解力と記憶力に秀でた『だけ』の鈍感な存
> >> 在(強力なコンピューター内蔵のロボットでも想像して下さい)に
> という前提自体が「科学的には未決事項」ということになると思います。
この部分、よく解りませんでした。『科学』の演繹・検証という
手続を私が端的に言い変えた部分が、「科学的には未決事項」とい
うことになる、ということですか?。私にはそれ以外の『科学』の
有り様は想像もつかないのですが…。
演繹・検証の手続は誰がやっても同じ結果が得られなくてはなら
ないので、『明らかに判る』為の工夫が必要です。その為に開発さ
れて来た各種測器や観測手法を用いれば、『鈍感なロボット』のよ
うな存在にも現象が把握され、演繹によって結論が得られる、とい
うようなことを言いたかったのですが、科学の手法として、これは
誤りですか?。
> したがって、この部分が何を規範として論理のベース足りうるかという
> と、「社会的にコンセンサスが得られた(と思われる)高い蓋然性」と
> いうことになるわけですが、これですと結局「社会通念上認められる」
> とほぼ同義になってしまいますね。
どうして『したがって』と続くのかも納得行きませんが、学会で
合意がある程度は得られた内容が議論のベースになる、という意味
では、学会の常識を前提にして科学は進んで行く、とも言えるとは
思います。
それでも、権威によってではなく、仕事によって、常識がひっく
り返る事も有り得る、という点は、画期的な話だと思いますが。
それではまた。 阿部 靖志
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