[BlueSky: 427] 子供の遊び Re:410 野蛮な遊びと子守り


[From] Ken Goto [Date] Fri, 13 Aug 1999 17:01:05 +0900

喜多さん、ゲンゴロウさん、葛貫さん、水野さん、多田さん、青空MLの皆さん、

                            後藤@帯畜大です。
お盆休みの静けさが漂っていますね。

本メールは、子育てと環境問題がメインテーマです。長文で失礼します。

小中学生の1%強に当たる約12万の児童が不登校である、とされています。
8年前は、6万強。この間の児童数減を勘案すると、比率としては8年間で倍増
以上の勢いです。

ゲンゴロウさん【418】:
> 息子の通う中学では全校で1クラス分の生徒が
> 登校出来ないでいるらしいです。
中学生の方が不登校率が高いですから、ゲンゴロウさんの息子さんの中学の場合、
比較的軽いのかもしれません(全校12クラス、と勝手に仮定)。

いずれにせよ、「小学生と環境教育」という主題において、エコ・フォビアが問
題にされましたが、環境問題以前の問題として、マン・フォビア(ヒューマン・
フォビア)となっていてはお話になりません。

僕の一貫した主張は、思春期前に人間愛、人間的正義、環境愛を形成しているな
らば、後は思春期以降に自発的な理論武装が行えるだろう、ということです。い
じめや不登校の問題は環境問題以前の問題ですが、これを解決して行くような教
育姿勢でない限り、幾ら「高度の論理」を教えたところで、それは「いい子の仮
面」しかない作れないのではないか、ということです。

******************************************* 以上、まえがき、でした。

喜多さん【410】:
> 済みません,話が跳んで。後藤さんの,腕白期の「人間愛の養成」「集団的正義の養
> 成」が出来ていれば,を又,出来ましたら教えて下さい。

ここは、ゲンゴロウさんに語ってもらいます(↓)。

ゲンゴロウさん【420】:
> > 源さん【392】:
> > > 私が,人間を好きなところはここです。
> > > 喜怒哀楽を我慢するのではなく,コントロールできるところです。
> > > それには,訓練が必要ですよね。
> > > 今の子どもたちにその訓練の場,時がない。訓練していない者が
> > > できないと責めてはいけないと思います。
>
> > 責めずに、どうしたらよいでしょうか?
>
> もちろん、訓練をする場と時と、自由をあげるべきですね。
> 小さいころから遊びの中で経験しないとだめですよね。
> 私なんて、この点では、胸を張れます!楽しかったあ。。。
> とにかく、自分の心のコントロールは、車の運転と同じで実際に運転しないと
> できないはずです。そうですよね。(強制同意)
> 自由に遊んだ子に心の運転免許証なんていうのをあげたらどうでしょう。
> 今の子どもたちには、その時間が足りないでしょうか。。

全く同感です。

喜多さん【410】:
> 最近の小学生の「戦争ごっこ」って言う遊びには,どんなのがあるのかな。ゲーム遊
> びかな。そう言えば「動物苛め(私は,とんぼ取り,金魚すくい)位で,ひ弱で余り
> ようせんかった),これは案外短所かも)」  

トンボ取りや金魚すくいは、動物苛め、とは普通はいわないように思います。
僕が、動物苛めで思い出すのは、カエルに小さな石粒をたくさん詰め込む、とい
うような「大人からみると」残酷なことを、面白がって平気でやったことです。

火あぶりの刑とか。
脚を一本一本引き千切っていったり(ザリガニ釣りでは、ザリガニ自身の脚や殻
をひきむしって餌にすることがあります;大抵は近所の魚屋さんから、魚の頭を
貰って来て餌にした;隣の兄ちゃんは、釣ったザリガニを庭で天ぷらにして食べ
ていました。近所に、田圃のための関(ため池)があって、そこが絶好の釣り場)

・・・小学校高学年の時ですが、子犬を拾って来て、校舎3階の倉庫に隠してた
ことあります。担任の先生(女性)に見つかってしまいましたが、な、な
んと、その子犬を鷲づかみにして3階から放り投げてしまいました。

これはもう「大人の配慮」が全くない暴挙です。この先生は高学年の3年
間ずっと僕の担任でした。だから、しょっちゅう、喧嘩してたことになり
ます。

さて、戦争ごっこのうち、比較的軽い遊びに「肉弾」がありました。陣取りゲー
ムの一種です。

・・・広場(更地)に、5m×10mぐらい(?)だったかな(大きければ大き
い程よい)楕円形を歪めたような思い思いの枠を棒でこすりながらかいて
行きます。そのすぐ内側に、もう一つの枠を思い思いに描くと、この枠で
囲われた部分が通路になります。ところどころ太くして休憩地にしておく。
一方のグループ(A)は、内枠の内部にいて陣地を守ります。他方(B)
は、通路に沿って進行して行き、内枠の入り口部分を突入してから、内部
の陣地に足を踏み入れようと試みます。

Aは、Bを排除しようと、通路を進行するBに対して押したり突いたり、
内部に入られてからも陣地を踏み入れられないよう抵抗します。通路の外
に追い出されたら失格です。

グループ分けはたいていジャンケンです。

最も過激だったのは、石投げです。手榴弾投げのつもり。一つの野原を挟んで、
両側には窪地があります。相手方をめがけて、石を投げ合います。石の大きさに
制限はありません。

・・・僕は姉二人の末っ子なのですが、やめろ、とは母親にいわれませんでした。
僕の息子が、このような遊びをしてたかどうかは知りませんが、仮にして
たとしたら、やめろといわない勇気があったかどうか自信ありません。危
険過ぎます。

泣きながら「こ〜んな大きな石にぶつけられちゃったよぅ」と帰っても、
男の子なら仕返ししてらっしゃいといわれるだけ。でも、僕は泣き続ける
だけでした。やはり姉二人、叩かれ強くはなかったのでしょう。

いずれにしろ、野蛮な遊びですね。でも面白いから次の日にはまたやった。

こうした「野蛮な遊び」のどこに教育的意義があるのか、、、僕にはよく分かり
ません。ありていなことを述べてみると、遊びの中で攻撃本能を十分発露してお
くと、現実の社会(こども社会を含む)では「偏執的な」攻撃性が弱まる、かも
しれない? もちろん、女の子は、昔もこんな「野蛮な遊び」はしません(動物
苛めはしたでしょうが)。

****************************************************

話題はすっかり変わりますが、、、

葛貫さん【400】:
> 「かけ算は、かけられる数を、かける数の回数だけ、たすってことでしょう。
> そんなことわかっているよ。
> でもさ、何で4桁同志のかけ算を、筆算でしなきゃならないのよ。
> それって、電卓を発明してくれた人に、失礼ってもんじゃないの。」
> 我が家の数学めんどくさい娘の言い分です

桁数の多い筆算練習は、一点の隙もなく思考する力を訓練するような気がします。

とにかく頭は使わないと鈍ることだけは確かですね?
新生児の眼も、現実の外をみないと、そのうち見えなくなります(でも、現実の
外を見ないということは、まずないことだから、特別な疾患がない限り見えるよ
うになる)。

・・・「老化とは何か」(今堀和友、岩波新書)193ページに「器官の廃用性
萎縮」現象についての説明があります。使わない部分は維持さえできない、
ということです。成長期に使わない部分は、発達させることができないし、
老化期には衰えを止めることができない、ということになります。

ゲンゴロウさん【420】の言葉をもう一度引用させて頂くと、
【とにかく、自分の心のコントロールは、車の運転と同じで実際に運転し
ないとできないはずです。そうですよね。(強制同意)】これも、廃用性
萎縮と基本的に同じメカニズムに違いありません。

訓練性成長、なんて言葉を作ってみましたが、当たり前すぎる言葉ですね。
「あなたの(高校合格の)ためよ」だけでは「苦痛」と「忍耐」の問題に
限定されますが、「あなたの(頭の成長の)ためよ」が加われば、少しは
明るいです。

・・・でも、「馬鹿でいいもん」といわれたらおしまいです。「じゃ、絵
で身を立てなさい」(すみません、無責任な発言です)。

   ・・・訓練性成長を、戦争ごっこの教育的意義と関連させると、攻撃本能
      の遊び的(人畜無害な)発揮の訓練?

或いは、「電卓は頭の弱った大人のための道具よ」なんて答えは馬鹿らしすぎる
でしょうか?

葛貫さん【417】:
> >喜多さん:
> >あ,これは蛇足で私の独断ですが,「子供の教育は絶対家族が見てはいけない」,
> >昔自分が失敗したから(訳もなく,簡単な問題が出来ないだけでも,腹が立ってくる
> >)(笑),最近流行りの子供の虐待を見ていると,親の身勝手さ,馬鹿さが良く判る

> 子供を産んだからと言って、いきなり親になれるかというとそうでもなく、
> 自分自身の中にある子供の部分と対峙しながら、だんだんと親らしくなってゆくしか
> ないのかもしれません。

喜多さんが前半でおっしゃってることは「勉強」のことだと思いますが、これは、
「親の個性」が強く効いてくる部分ですね;どれだけ我慢強いか。もう一つは、
我が子を自分の分身とみる程度の強さにも依存しているように思えます;一般論
としては、母親の方が父親より「こどもとの一体感」が強いでしょうから、何で
こんなことが分からないのという「我が身」自身への苛立たしさみたいなものを
感じるのでしょうか;こどもの自尊心(人格)を尊重できているかどうか、とい
うことでもあります。また、我が子の成績に対する態度(価値観全般)にも依存
するでしょう。

子育てをしていく中で親らしくなっていく、というのは僕も経験済みです。

・・・愛するとは守ることなんだ、、ということを僕は子育ての中で体験学習し
ました。

序でに、「子供の遊び」との関連をつけると、子供の遊びには「子守り訓練」
(愛情育成)の要素があります。

年長グループの中に味噌っかすが入る場合、集団で子守りをしているようなもの
です。お山の大将は年少グループにひとりの年長、やはり子守りですね。
あと、例えば僕は(幼児期及び小学低学年時に)年少の女の子と一対一(日によ
って相手が変わる)で遊びましたが、子守りにもなっていたようです(相手の女
の子の親から感謝された)。これは遊びですから、親が兄や姉に弟や妹の子守り
を「命ずる」のとは質が異なります。

葛貫さん【417】:
> 前に【254】で横山さんが
> >嘗て,名仏師が「仏様は木の中に既におわすゆえ,木の中の仏様をそ〜っと取り出す
> >ように彫る。間違っても自分で仏様を形作ろうなどと考えない」と言っていたのを
> >聞いたことが有ります。
> と仰しゃっていたことは、子育てにも通じるところがあるのかもしれません。

全く同感です。
子供の育つ能力、こどもの人格を尊重することだと思います。

ただ、僕が失敗したな、と思うことは、いろいろなチャンスを早期に与えてもよ
かったかな、という点です。息子は中1ぐらいにピアノを習い始めたのですが、
とても綺麗な音を出す。本人も天性として好きだったようです。もっと早くから
習わせておけばよかったかな、と。ただ、「もっと早くに」、好きになったかど
うかは、今となっては分かりません。

・・・嫌いでも上達するうちに好きになる場合もあるし。

なかなか難しいものですね。

************************************

本当の愛情があれば(嘘の愛情は定義上ありえないですが)、愛するものを守る、
という行動はとても自然です。僕が思春期前の児童に対する教育理念にしたいの
は、この点です。

多田さん【393】:
>  エコ・フォビアはなるべくさけられるように,夢のある展開にしたいと考え
> ています。学習して自分の未来がとっても暗くなることは,できればさけたい
> と思っています。

ここは微妙なニュアンスなのですが、、、発想が僕とは逆であるような印象を受
けました。エコ・フォビア形成を避けるように心がけるのか、エコ・フィリア形
成を促すように心がけるのか、、、。

・・・小学生2,3年次の僕の担任の先生(女)は、根っからのこども好きです。
高学年になって担任を外れてからも、日曜日に希望者を野山のピクニック
に連れて行ってくれました。エコ・フィリア形成、マン・フィリア形成の
「自然な形」でした。

後藤 健
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帯畜大 生物リズム学 Phone (& Fax): 0155-49-5612

☆ 「生命を考える」(玄関)
    http://www.obihiro.ac.jp/~rhythms
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