[BlueSky: 4243] [4149] 物語(長文失礼)


[From] Abe Yasushi(阿部靖志) [Date] Thu, 23 May 2002 23:38:41 -0400

阿部@イジャペルです。

at [BlueSky: 4149] Re:4131 物語(長文失礼) 葛貫 さん

> それにしても、e-mailの世界では、たった1か月前のものへの
> 返信が、「化石レス」になってしまうんですね(笑)。

 ホントに。ネットの上では事態の推移が現実世界より遥かに早い
ので、困ってしまいます(そんなに性急にならなくても、と思うこ
とが、よくあります)。


> 難しい問題を扱っていらっしゃるのに、苦行者の相(?)がなく、
> 楽しそうで魅力的な方ですね(^^)。
>
> 私は「どうして、こんなことになっちゃったんだろう」と
> 済んだことの理由付けにエネルギーを使う方なのですが、
> 平藤さんたちの話をうかがっていると、その分のエネルギーや
> 時間を「これから」を考えたり、つくったりするために使う
> という方向へ向けられるような気がしてきます。

 見習うべき態度ですよね。環境問題も『どうすれば止められるの
だろう』だけでなく『どうすれば皆の幸いに転化できるだろう』と
考える視点が必要なのかもしれません。


> ジョセフ・キャンベルという神話を研究してる人が
> 「物語(古代神話)は、精神と肉体を調和させ、生き方を自然の
> 掟に従わせるために作られるようになった」というようなことを
> 言っていたように記憶します(うろ覚え(^^;;)。
>
> 人が求めなくても、現実として死や混沌はあるわけで、それと、
> 折り合いをつけて行く方便として神話や宗教があるように
> 思われます。

 『神』は『魑魅魍魎』の同類だと気付いたので、『神』に何かを
期待する気持は無くなった、と言うべきだったかもしれません。私
は、科学というペンライトで心の闇を照らす事で、現実にそこに有
る混沌と折り合いをつけて行こうとしています。まぁ、これは私の
態度なので、他人に押しつける気はありませんが。


> 弁証法みたいな視点が生れた頃から、自然の摂理というより、
> 社会(支配層?)の都合にあわせる、あるいは、それを否定する
> ために、意図的に宗教がプロデュースされるようになったのでは。

 いや、弁証法の方が明らかに後でしょう。宗教が集団のトーテム
として機能していた原始宗教の時点から、支配の道具としても機能
していた筈ですから。もっとも『意図的なプロデュース』では無か
った、と言えば、現代宗教だって『意図的なプロデュース』では無
いのかもしれません(言葉遊びですね、失礼しました)。

 個々の宗教について言えば、初期段階では必ずしも支配の道具と
して創設されたのでは無いと思います。が、時間の経過に伴って内
部で階層構造が発達し、その構造を安定させるシステムが発生する
のだと思います。


> 「ジャンヌ・ダルク」【1999.Cloumbia Pictures Industries,Inc】
> という映画をご覧になりましたか?

 残念ながら、未だ見ていません。


> 以前【2749】http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/mllogs/bluesky/2749.html
> に書いたのですが、自分では整合性を保ち、正義を生きたように
> 思っている人間に内在する欺瞞を暴き出すような後半、見ていて
> 辛いものがありました。

 本人が意図的にやっていたのだとしたら、そんなに辛くなるよう
な話では無かったのかもしれません。自分自身の真の動機もありの
ままに見ておきたいものです。


> 哲学をやっていらっしゃるある方が「空を仰いで坂道を下り、
> やがて海の底へ沈んで腐敗し、プランクトンになって漂い続ける、
> そんな奇妙な夢を見ました。夢の中では、そんな自分を涙を流し
> ながら見ている目があるのです。」と書かれたことがあるんです。

 その目は、何故涙を流していたのだろう?。構造の低レベル化を
嘆いていたのかな?。空を仰ぎつつもそこに至る塔は建てられず、
只生きているだけのプランクトンに成り下がってしまう自分。この
自分は、人類かも知れん。それを眺める目は何を期待していたのだ
ろう?。


> それを読んだ時、遺伝情報、環境条件、生活習慣等があいまって、
> 物が結び解けてゆく場が、自意識を持ってしまった難儀のような
> ものを感じました。

 確かに、自意識をもって生きると言うことは、難儀な話ではあり
ますなぁ。だからといって放り出す気には全く成りませんが。その
難儀さを積み重ねて、天に至る塔を建てたいものです。


> 起こることは同じでも、「腐敗」ではなく、一瞬でも、その魂が
> 持つ香気を放つことができる「発酵」と呼べる瞬間、その瞬間に
> 立ち会い「それもまた肯(よし)」と言ってくれる存在がいると
> 思わなければ寂しすぎるし、哀しすぎるな、と思いました。
>
> 言葉の遊びのようですが、個人の心の中で「腐敗」を「発酵」に
> 変え、死や混沌の受容を手助けし、見届ける役割を受け持つのが
> 「神」なんじゃなかなと、時々、思います。

 キリスト教の教えですが、神はご自身に似せて人を作られたのだ
そうです。人は神様じゃぁありませんが、人を赦す神の役を演じる
には不足の無い存在なんじゃないでしょうか。


> 古代神話の世界を生きて行けるほど、自然と密着していない。
> 対立し合っている組織立った宗教は、意図が見えちゃってるのよ、
> というか、今更、という感じ。

 確かに。


> この先、ガイアや臨死体験者の「物語」が、腐敗を発酵に変える
> 役割を果たす有力候補として、クローズアップされてくるのでは、
> と思っています。
> その周辺には、怪しげな「理論」やグッズがモヤモヤと立ちこめて
> いますが、やがて淘汰されていくんじゃないかな。

 どうなんでしょうか?。身も蓋もない見方しか出来ない私には、
死を死として受け止める方が簡単だと思えます(その為に生態学や
ガイア理論が利用される事もあるだろうと思いますが)。


> #「ガイア理論」を相対化してしまう言い回し、ご不快に感じられ
> # たとしたら、お赦し下さい。

 ガイア理論に助けられた、とは述べましたが、私は別に『ガイア
理論』の『信者』では無いです。何とも思いませんよ(^^)。


> >  で、平藤先生の研究は『生物圏を管理しやすくアレンジする』と
> > いうものだと思います。要するに、生物圏を『紫の上』とか『プリ
> > ティ・ウーマン』のように取り扱う研究な訳です。ホント、楽しそ
> > う(^^)…。
>
> 「プリティ・ウーマン」は、パートナーとのダンスを楽しんで
> いる感じで終わっていますが、紫の上は藤壷(源氏のユートピア)
> の身代わりとして仕立て上げられた自分、他の在り様を知らない
> 自分を外から観るという不幸な事態に直面し、「この世は、
> かばかりと、見果てつるここちする齢にもなりにけり」と言って、
> パートナー(光源氏)の手を放し、出家したいと望むんですよね。
> 紫の上は、源氏を憐れんで、出家を思いとどまったけれど、
> 「生物圏」は、思いとどまってくれないだろうな(^^;;。

 『生物圏』が自意識を持ち、他の在り方を求めるのであれば、出
家してしまうかもしれませんね。ただし人類は出家を許すほど寛大
じゃないと思います。檻に閉じ込めてでも、生物圏の逃走は許さな
いでしょう。勿論、自殺も許しません。結局、生物圏には人類に働
きかける自由しかありません。まぁ、それはフィードバックと言う
事で、良しとしておきましょう(^^)(仮令、そのフィードバックの
結果、管理していた筈の生物圏に人類が絶滅させられるとしても)。
惚れた女に刺されるんなら、本望って訳じゃないけど、まぁ許すし
か無いかな、ということで(^^)。


> 私のパウロ像は、[BlueSky: 2709]に書いたことがあります。
> http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/mllogs/bluesky/2709.html
> 阿部さんが持っていらっしゃるパウロのイメージとは大分違うようです。
> お時間があるときに、読んで戴けたら幸いです。

 実は、その頃から既にこのMLに加入していました。と言う訳で、
葛貫さんがパウロにどういうイメージをもっていたかも知っていま
した。が、聖書を読む限り、パウロは自分が仕えている神に厳格に
帰依するように、他者に対しても同じ神に自分同様に仕えさせてい
たのではないか、という気もするのです(改宗前の行動を思い出し
て下さい)。

 自分自身を崇拝させることは無かったにせよ、先輩信者として尊
重される事を望まなかったとは言えない様な気もします(以前、自
分が教えた人達の前での発言なんかを読むと…)。そういった態度
は『小さな神』へと発展して行く態度なので、かなりキツい台詞が
出てしまいました。ご容赦を。


それではまた。 阿部 靖志


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