[BlueSky: 4178] Re:4158 水と電気


[From] "gengorou" [Date] Sat, 18 May 2002 01:44:02 +0900


こんばんは、ゲンゴロウです。
*****************************

このところの話題(ゆとりのこと、水のこと、記憶のこと、
感性と理性のこと、などなど、とても面白いと思って読ま
せてもらってます。
で、私も思ったことをツラツラと書いてみました。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

【記憶のこと】

以前、「記憶とは何だろう?」と、記憶について考え
たことがあるのですが、その時、記憶とは、「外界の
変化の影響を受けて、ある物が変化し、そのある物か
ら、時間が過ぎ去った後にも、その物(媒体)が過去
に置かれていた状況(環境)などを知ることが出来た
なら、それを広義において、私たちは「記憶」と呼ん
でいるいるのかもしれないなぁ〜」と思いました。

人間の脳などは、その意味で、外界に影響を受けて、
その変化を時間的に長く留めおく最たるものなので、
人間の脳こそ記憶媒体の記憶能力に優れていると考
えられていると思います。
(思考能力はどうなっているのか知りませんが)

【水と記憶】

などと、記憶について広い意味として、「ある物質が
外界の状態によって変化すること」などと勝手に定義
づけ、考えてみると、水が、もしもある時期おかれて
いた状況に影響を受けて、その状況を時間的にも留め
られるなら、それは、「水が記憶している」と考えら
れなくもないなぁ〜と思います。

水の記憶をしてよく言われているのが、「水が優れた
溶媒であることから、雨となって地中を流れた後に、
泉として湧き出て来たとき、その流れた地中の様子を、
含有物質として記憶していること」の様ですが、それ
以外に、、、
例えば、もしも、水がある電磁波(光)によってその
組成状態を変化させて、さらに時間的にもその変化を
留めるならば、水は、電磁波(光など)を記憶すると
考えても良いように思います。写真が光の合成電磁波
を出し、その微妙なブレンドの仕方で、水が変化する
なら光は、その写真を記憶したことになると言えなく
もないようです。

【物と記憶と時間】

あらゆる物質は、外界の状況によって変化するという
ことを考えるなら、物は常に外界の変化を記憶してい
ると、言えなくもないのかもしれません。
しかし、ほとんどの物質が、その変化を時間的には一
時的にしか記憶できないので、記憶には時間的な条件
が不可欠であると考えると、それは、記憶ではなくな
ってしまいますが、一方で、短時間でも記憶はされて
いると考えてもいいかもしれません。

【発電機と記憶】

私が日頃乗っている自家用車のダイナモ(発電施設?)
は、その発電能力が小さいようで、ヘッドライト、ク
ーラー(+送風機)、ワイパー、などをフルに使って
走行している時に、ブレーキを踏み、ブレーキランプ
を点灯させてしまうと、ワイパーのパワーが落ちるよ
うな気がします。変な話し、その時、私は自分の車が
生き物のように感じることがあります。それを、別な
表現で言うと、「やさしいと、感じる」と言っても差
しさわりないような気がします。つまり、、、私の車
を流れる電気は、私の車のダイナモの状況をちゃーん
と私に伝えているのですから、電圧降下の伝達が一瞬
という時間的には瞬間であっても、ある意味、記憶と
呼べないこともないように感じます。
とにかく、雨の日などに、対向車で、目に刺さるよう
なまぶしいビームを放ちながら走ってくる車に、私は、
やしくないな〜と思うことがあります。

【発電施設と記憶】

その昔、まだ、電力事情が悪かった頃、、各家庭が電気
を付けて、力道山の活躍に興奮していた時、時々、電灯
が、フッと暗くなるときがありました。
これは、おそらく、町を流れる電気のキャパシティーが
現代のように大きくなかったせいではないかと思います。
問題はこのキャパシティーは、何に依存しているのかで
す。電力のキャパシティーは発電設備の容量の大きさや、
その発電設備がカバーしている地域の大きさに関係して
いるように思えます。
一つの発電所でオフィス地域と工場地域と住宅地域と商
業地域を全てカバーしているなら、どこかの小さな町内
が大電流を使っても、さほど、他の広域回路(電力供給
地域)にはあまり影響を与えないように思います。
こんなことと、先の記憶の話を加味して考えると、電気
も、発電設備とかその供給設備の状況が関係していて、
それを使用者にある程度伝えているなら、それは、電力
設備の状況を記憶して、私たちに伝えていると言えるの
かもしれません。

【環境と感受性】

ある小さな島、すなわち、電力設備が小さい地域で、電
気を使っている人たちは、時々電圧降下を起こす電気に
感じて、電気が生きている。あるいは、電気は電気設備
の状況を伝えている、または、発電設備や伝達経路の規
模を、水のように記憶していると感じても当然なのかも
しれません。
一家庭で、風力発電も併用していると、ときどき電圧が
下がる我が家の電気に対して、「なんか、やさしくて、
可愛い電気だなぁ〜」と思うのも、そうかもしれない、
などと思いました。
どでかい原子力発電で、どんなに使ってもヘタらない、
タフな電気を使っていると、実は、昔なら当たり前に感
じていたことが、もう分からなくなってしまっているの
かもしれません。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

私は、最近、ある特定な人たちと比較すると、かなり、
感性に関して鈍感と感じていたのですが、そのことは、
こういうことがあるのかもしれないなぁ〜と思いなが
ら、最近の投稿を読ませてもらいました。(感謝です。)


乱文お許しを。。。genngorou
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
ぜんぜん更新してないホームページ
 http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/
人間物語・・・存在・時間・意識
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gengorou/book/ningen.htm
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞












▲前の記事へ ▼次の記事へ △記事索引へ △青空MLトップへ

(注)この記事が最新である場合,上記「次の記事へ」はデッドリンクです。