[BlueSky: 4149] Re:4131 物語(長文失礼)


[From] "Y.Kuzunuki" [Date] Tue, 14 May 2002 16:10:33 +0900

葛貫です。

阿部さん、返信ありがとうございます(^^)。

阿部さんwrote:
>  既に化石レスですが、気が向いた方はお付き合い下さいませ。

それにしても、e-mailの世界では、たった1か月前のものへの
返信が、「化石レス」になってしまうんですね(笑)。

> > 「NetScience Interview Mail 」で配信して下さったインタビューなの
> > ですが、「平藤雅之氏(計算生物学、アグリインフォマティクス)」
> > http://www.moriyama.com/netscience/Hirafuji_Masayuki/index.html
> > 「遊んで暮らす」話と関係があるかも(^^)。
>
>  楽しそうな研究ですね。快楽を追求しつつ、利益も兼ねていると
> 言う辺り、見習いたいものです。

難しい問題を扱っていらっしゃるのに、苦行者の相(?)がなく、
楽しそうで魅力的な方ですね(^^)。

私は「どうして、こんなことになっちゃったんだろう」と
済んだことの理由付けにエネルギーを使う方なのですが、
平藤さんたちの話をうかがっていると、その分のエネルギーや
時間を「これから」を考えたり、つくったりするために使う
という方向へ向けられるような気がしてきます。

>  そういった死や混沌を求める人の心の闇に、神は魑魅魍魎と同居
> しています。この事実に気付いてから、神を信じるという宗教的態
> 度は、私の中から完全に消滅しました。その結果、宗教を相対的に
> 眺めることはできても、主体的に自分の中に取り込むことは出来な
> くなりました。だから、宗教の智慧を尊重する気持は有りますが、
> 宗教者としての態度を取ることは私にはできないのです。

ジョセフ・キャンベルという神話を研究してる人が
「物語(古代神話)は、精神と肉体を調和させ、生き方を自然の
掟に従わせるために作られるようになった」というようなことを
言っていたように記憶します(うろ覚え(^^;;)。

人が求めなくても、現実として死や混沌はあるわけで、それと、
折り合いをつけて行く方便として神話や宗教があるように
思われます。

弁証法みたいな視点が生れた頃から、自然の摂理というより、
社会(支配層?)の都合にあわせる、あるいは、それを否定する
ために、意図的に宗教がプロデュースされるようになったのでは。

「ジャンヌ・ダルク」【1999.Cloumbia Pictures Industries,Inc】
という映画をご覧になりましたか?

以前【2749】http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/mllogs/bluesky/2749.html
に書いたのですが、自分では整合性を保ち、正義を生きたように
思っている人間に内在する欺瞞を暴き出すような後半、見ていて
辛いものがありました。

哲学をやっていらっしゃるある方が「空を仰いで坂道を下り、
やがて海の底へ沈んで腐敗し、プランクトンになって漂い続ける、
そんな奇妙な夢を見ました。夢の中では、そんな自分を涙を流し
ながら見ている目があるのです。」と書かれたことがあるんです。

それを読んだ時、遺伝情報、環境条件、生活習慣等があいまって、
物が結び解けてゆく場が、自意識を持ってしまった難儀のような
ものを感じました。

起こることは同じでも、「腐敗」ではなく、一瞬でも、その魂が
持つ香気を放つことができる「発酵」と呼べる瞬間、その瞬間に
立ち会い「それもまた肯(よし)」と言ってくれる存在がいると
思わなければ寂しすぎるし、哀しすぎるな、と思いました。

言葉の遊びのようですが、個人の心の中で「腐敗」を「発酵」に
変え、死や混沌の受容を手助けし、見届ける役割を受け持つのが
「神」なんじゃなかなと、時々、思います。

古代神話の世界を生きて行けるほど、自然と密着していない。
対立し合っている組織立った宗教は、意図が見えちゃってるのよ、
というか、今更、という感じ。
この先、ガイアや臨死体験者の「物語」が、腐敗を発酵に変える
役割を果たす有力候補として、クローズアップされてくるのでは、
と思っています。
その周辺には、怪しげな「理論」やグッズがモヤモヤと立ちこめて
いますが、やがて淘汰されていくんじゃないかな。
#「ガイア理論」を相対化してしまう言い回し、ご不快に感じられ
# たとしたら、お赦し下さい。

>  で、平藤先生の研究は『生物圏を管理しやすくアレンジする』と
> いうものだと思います。要するに、生物圏を『紫の上』とか『プリ
> ティ・ウーマン』のように取り扱う研究な訳です。ホント、楽しそ
> う(^^)…。

「プリティ・ウーマン」は、パートナーとのダンスを楽しんで
いる感じで終わっていますが、紫の上は藤壷(源氏のユートピア)
の身代わりとして仕立て上げられた自分、他の在り様を知らない
自分を外から観るという不幸な事態に直面し、「この世は、
かばかりと、見果てつるここちする齢にもなりにけり」と言って、
パートナー(光源氏)の手を放し、出家したいと望むんですよね。
紫の上は、源氏を憐れんで、出家を思いとどまったけれど、
「生物圏」は、思いとどまってくれないだろうな(^^;;。

私のパウロ像は、[BlueSky: 2709]に書いたことがあります。
http://sv2.humeco.m.u-tokyo.ac.jp/mllogs/bluesky/2709.html
阿部さんが持っていらっしゃるパウロのイメージとは大分違うようです。
お時間があるときに、読んで戴けたら幸いです。

とりとめのない話を長々としてしまいました。

今日は、夕暮れ時に、水星、金星、土星、火星、木星、月が、
一望できるはずです。晴れるといいな〜(^^)。

それでは、また。

                    葛貫 由美子






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