[BlueSky: 4012] 「漂泊の山民、木地師の世界」=自主上映会のお知らせ


[From] "Takanori Oishi" [Date] Mon, 18 Mar 2002 00:50:18 +0900

青空メーリングリストの皆様

 はじめて投稿します。京都で大学院生をしている
大石といいます。いきなりで恐縮ですが、自主上映
会の宣伝をさせていただきます。

 4月13日(土)に京都市の「こどもみらい館」で、
東京の民族文化映像研究所制作の「木地師」のドキュ
メンタリー映画を自主上映します。

 木地師とは、かつて日本の山間に家族単位で住み、
ブナやトチなどの原木から、お椀や盆などのうつわを
ヨキやマサキリで直に刳りだし、手引きのロクロで整形し、
里と農作物や貨幣と交換して暮らしていた人々のことです。

 森林の在来利用に興味のある方に限らず、多くの方の
参加をお待ちしています。また、身近で興味のありそうな
方にも周知していただけたら幸いです。

                     大石高典

  以下、転送大歓迎!!
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 平成14年4月13日(土) 
民族文化をたどる会・第3回・自主上映会   

 「漂泊の山民, 木地師 の世界」

[上映作品]
■奥会津の木地師 (55分、1976年制作・キネマ旬報ベストテン3位)
■埼玉の木地師  (40分、1990年制作)
(監督:姫田忠義 制作:民族文化映像研究所) 

◎昭和初期まで続いた、山間の移動民、木地師の
  ワザとくらしの再現記録。

[日時]: 2002年4月13日(土) 13時開場、13時30分開演。 
[場所]: 京都市子育て支援総合センター「こどもみらい館」
     4階第2研修室 (地下鉄「丸太町」駅より徒歩3分) 
[参加費]: 一般1200円(前売り1000円)、大学生1000円、高校生以下500円。

 →前売り申込みの方法:
下記郵便振替口座に前売り料金をお振り込みの上、
当日、「郵便振替受領証」をご持参ください.

口座名義: 民族文化をたどる会 (代表 杉原創)
口座番号: (記号)14470 (番号)35379311

(京大生協ルネ、北部購買チケット売場でも前売りチケットを
ご購入いただけます。)

[会場へのアクセス]:
烏丸丸太町の交差点から南に一筋め(竹屋町通)を東に入って、
2つ目の角が会場の建物です。不明の場合は下記まで連絡ください。
ファックスにて詳細地図を送りします。


[主催]: 民族文化をたどる会

[連絡先]: 
 電話 090−5655−2356 (井上)
 ファックス 075−703−4994 (大庭)
 E-mail tadorukai@yahoo.co.jp
   
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[プログラム]
13:00〜 開場
13:30〜 上映会開始
     「奥会津の木地師」
14:25〜 休憩
14:40〜 「埼玉の木地師」
15:20   上映会終了
15:30〜 交流会(予定)

[作品紹介] (民族文化映像研究所 作品リストより)

● 奥会津の木地師 (55分)
昭和初期まで福島県南部の山間地で移動性の活動をしていた木地師
の家族による、木地屋敷作りから手引きロクロによる木地椀作りまでの
当時の生活と技術の再現記録。
・・・椀作りが始まる。男たちは、山へ入りブナを倒し、切り株に笹を立て
て神に祈る。そして、その場で椀の荒型をつくる。倒したブナに切り込み
をいれて「山型」をつくり、「マガリヨキ」でそれをはつり起こしていく。
女たちが荒型を木地屋敷に運び、椀の外側を削って整形するカタブチ
作業、中を刳るナカグリ作業と続ける。男たちが、最後に手引きロクロ
で椀に仕上げていく。・・・人の力で回される手引きロクロは、奈良時代に
大陸から導入されたものだという。藤八さんたちは、移動生活をやめ、
手引きロクロから離れて50年あまりも経っていた。しかし藤八さんたちの
身体には、千年を越す技術の伝統が見事に息づいていたのであった。

● 埼玉の木地師 (40分)
奥秩父の山々にも鉢、椀、盆などの木の刳り物や挽き物を作る木地師
がいた。こね鉢作りを中心に木地師の技術と信仰を記録。
・・・木鉢には、トチノキがよい。まず直径1メートルほどのトチノキから、
大まかな形を刳りだすアラキドリをする。幹にマサキリで鉢の大きさに
谷を切り、ヤと呼ぶ楔を根から水平に叩き入れて剥がしとる。
その外形をアラケズリした後、内側を刳るアラボリをする。アラボリは割
れを防ぐために必ず木口から刳る。個々までの作業で使うのはマサキリ
だけである。・・・

→民族文化映像研究所について
    
"1961年以来、日本の基層文化を映像で記録・研究する事を目指して
出発した民間の研究所です。北緯20度から北緯45度に到る、約3000
キロメートルにも及ぶ長大な「日本列島」。そこには60万年を超える長い
「歴史時間」の中で培われた「自然との深い対応と共生」の人間生活・
文化があります。その「自然との深い対応と共生」の在りようを私たちは
「基層文化」と捉え、刻々の今を生きる人々(特に庶民)の生活行為を
見つめることによって、明らかにしようとしてきました。そしてその作業は、
日本にとどまらず、フランスなど世界の諸民族の地へも広がりつつあります。
これまでの40年の活動から、114本の映画作品と150本余りのビデオ作品
を生み出してきました。"
http://www.tk.xaxon.ne.jp/~mineiken/index.htmより)

以下、参考情報です。

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■「木地師」とは?
木地師というのは、木地屋とか轆轤(ろくろ)屋とも呼ばれ、手挽き(二人
挽き)・などの工具を使って木材を削り、椀・盆などの木地を造った工人の
ことです。
■轆轤(ろくろ)
轆轤とは水平の軸木に巻いた 紐(ひも)を両手で交互に引いて、軸木の
先端の金具などに固定した木塊を回転させる道具で、回転させた木塊を
鋭利な刃物で削って、器類を作ります。平安時代、惟喬(これたか)親王
が巻物のひもにヒントを得て考えついたと言われています。
■木地師の祖、惟喬(これたか)親王
惟喬親王は844年、文徳天皇の第一皇子として生まれましたが、皇位
継承争いに負け、弟の清和(せいわ)天皇が即位すると、蛭谷、君ヶ畑(滋
賀県神埼郡永源寺町)に隠棲しました。隠棲後の親王は、自ら実に粗末な
暮らし、民人の貧しい生活に日夜御心を痛め、この辺りが立木資材の豊
富なところから、ろくろを使って膳・盆・椀などを作る仕事を木地師の元祖
ともいわれる小椋実秀卿に命じて教えさせ、民業の開発に力を注ぎました。
惟喬親王を祀った蛭谷の筒井八幡宮と惟喬親王が出家・隠棲したという
君ヶ畑の金龍寺(きんりゅうじ)では、惟喬親王が轆轤業の祖神として祀
られています。
■全国各地に広がっていった木地師
山中の木地師たちが次第に全国へ出ていき、筒井神社は、かつて筒井
公文所という名のもとで、全国各地の木地師たちを支配し、いわゆる木札
の印鑑や往来手形などを発行して木地師の身分を保証していました。
筒井神社境内にある木地師資料館の記録帳(氏子狩帳)によると、1647
年から1882(明治15)年までの236年間45ヵ国に、木地師の名が延べ
45,143人記されており、また、君ヶ畑の金竜寺には、1694年から1890
(明治23)年までの200年間の巡国記録で、30ヵ国延べ11,531人に及ぶ
木地師の名が記載されています。
これら伝統的な木地師たちも明治の変革期に次第に木地師社会の崩壊
と定着農民化の促進、深山の国有林化と原木の減少による材料供給での
行き詰り、明治10年代から始まる陶磁器の普及による木地椀などの需要
の減少に見舞われ姿を消していきました。
(永源寺町、大分歴史事典などのHPより)

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 ここまで。

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大石 高典 takanori@jinrui.zool.kyoto-u.ac.jp


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