[BlueSky: 3970] Re:3956  ( 排他的社会環境 )


[From] "gengorou" [Date] Thu, 28 Feb 2002 21:33:35 +0900


小宮さん、ゲンゴロウです。
なんか、久しぶりに考えられるな〜という感じです。

−−−−−−−
【ゲンゴロウ】
> > 全ては遺伝子の世界の中のこととしてしまうと、
> > 人間の「意識と肉体」の融合から生まれている崇高な物事を、
> > 考慮から外してしまうこともあり、もしかすると、私たちをまた
> > 原始的存在に戻して考えてしまうことにもなるような気がします。
> > 私たちは、遺伝子の所行(ふるまい)の上にはいますが、
> > もう、「ふるまい」の中にいる存在ではないと、
> > 私は思います。

【小宮さん】
> 確かにそうですね。「遺伝子で決められている」と言いきるのは
> 性急でした。僕はただ、集団生活を行うのは人間の性だ、
> ということを言いたかったのです。まあ、似たような意味かも
> しれませんが。

う〜ん、「性」とか「業」などと呼ばれていること、
ほんとに、それらは遺伝子のふるまいのことかもしれま
せんね。。納得します。
が、、まだ、、、どうしてか?ひっかかる部分もあります。。。
集団というもの自体が一筋縄ではいかなからかもしれません。
人間の集団化は、確かに遺伝子のせいでしょう。。しかし
その集団と人間との関係は、遺伝の問題ではないかも
しれません。
足がかりに、人と集団の関わり方について考えてみます。
なんか、以前も考えたことあるようですが。。。

−−−−人と集団の関わり方−−−−

オオカミのように、群で協力して獲物を捕る、それは、な
んか、すごい能力で、人間の農耕文化のような集団、ある
いは、会社のような組織など、オオカミ達のそれと同じで
「協力的な集団」で、はないかと思います。
しかし、学校などの集団は、生徒達が協力を目的にして集
まった集団と言うより、多くの子ども達に教育を付す場合
に、一人の先生で何人もの生徒を教えるという「効率を目
的にした集団」のような気がします。それは生徒達(児童
達)から見ると、内からではなく「外からの集団化」で、
人には強制的な集団になっているようです。
これとは違って、工場など、生産ラインに集められた人の
群は、「協力集団」でもありますが、なんとなく、、人間
が道具を使うように、役に立つ道具として集められた、
「道具として集められた集団」にも感じられます。
で、
もしかすると、排除を考えると、「協力的な集団」とか、
「道具として集められた集団」ではなく、「効率を目的に
集められた集団」の中で置きやすいようです。

つまり、小宮さんがおっしゃっている「集団生活を行うの
は人間の性である」ということを考えてみると、どうも、
その性から生まれた集団の中では、排除は起きないが、そ
うでない「効率を目的に集められた集団」の中に置きやす
いのかもしれません。
「効率を目的に集められた集団」で思い浮かぶのは、やは
り戦争中の収容所。。。なんですが、、あの収容所では、
排除はなかったかもしれないし、、。
と、考えると、必ずしも「効率を目的に集められた集団」
だから排除が起きるということでもないし。。。
もしかすると、排除が置きやすいのは、一つの集団に二
つの集団化を促す要素が生まれると、それが矛盾を起こ
して、そこに属す個々人の思考に歪みが生まれて・・・
なんて考えが進みます。
つまり、学校のように「効率を目的に集められた集団」
で、子ども達が仲良くすることを強いられたりするから、
歪みが起きてしまうのかもしれません。。。。
また、会社など「協力を目的に出来た集団」で、他の
集団化の要素が誕生すると、、歪みが起きて、排除が
生まれてしまうのかもしれません。
(・・・違うかな〜。。)

> > つまり、「孤立の恐怖」が、人間の集団内では、他の原因よりも
> > 大きく人間の行動に影響を与えていると、思えたのです。
> > 恐怖ももちろん遺伝子プログラムの中でのことかもしれません。
> > が、一方で、恐怖とは、人間が未来予測を知ったことで生まれた
> > ものであるとも思うので、排除は未来予測能力がある人間ならで
> > はの、行動原因もあるのではないかと考えたわけです。
>
> 孤立の恐怖が人間が集団生活を行うという行動に影響を与えて
> いる、というのは僕も賛成です。人間は何十万年、何百万年と
> 集団生活を行ってきました。その長い間、集団から孤立して
> しまうことはすぐ死に直結していたはずです。ですから、集団
> からなるべくはずれないようにしようという意識が人間に本能
> として芽生えても不思議ではありません。

そうか〜、、。そうですね。。恐怖も未来予測も、すでに本能
ですね。つまり、本能=生前獲得=遺伝子、ですね。

> 何の本で読んだか忘れましたが、人はナイフや包丁のような
> とがったものを見ると本能的に恐怖を感じますが、触ったら
> 感電死してしまう電気のコンセントには恐怖を感じない、それは
> 電気が発明されてからまだ日が浅いのに比べ、とがったもの
> は何百万年も前から人に死を与えてきたため、とがったものに
> 対する恐怖が本能になってしまったということでした。高いがけに
> 立つと目がくらんだり、暗闇が怖かったりするのもそうでしょう。
> そうであるなら、集団からの孤立も、本能的な恐怖として残って
> いるのではないでしょうか。

なるほど。。。
赤ちゃんの時から、刃物や高所に恐怖を持っているとは思え
ませんが、それは、、赤ちゃんの時には、まだ発芽しない本能
と考えてもいいかもしれませんね。(後発的な本能とでも?)
恐怖は、人間が獲得してきた順番(進化獲得の順番)で、成長
と共に、人間に現れる本能かもしれません。胎児の段階で、進
化過程を経るように。。
集団化とか、排除に対する恐怖(孤立の恐怖)は、高度な本能
で、、進化ではかなり最近、人類が獲得した本能なのかもしれ
ません。。。後から発芽するもんだから、私には誕生後に獲得
した能力に見えたのかもしれません。

> もちろん、孤立の恐怖だけでなく、自分がいる集団に貢献
> する喜び、というのも本能的なものでしょう。これらの感情は、
> 普段は悪いことではありませんが、その集団の利益がもっと
> 上の集団の利益に反する時はマイナスに働きます。例えれ
> ば、会社の利益と日本の利益とかですね。本能では、自分が
> 生活する小集団から外れる恐怖しかないわけですから、それより
> 大きな集団の利益には鈍感になってしまうわけです。これら
> が企業内犯罪や、その他の汚職の大きな原因になっていると
> 僕は思っています。

これが、、もしかすると、「一つの集団に二つの集団化の要素」
なのかもしれません。集団の中の個人に、二つの要素が働くと
その利害から矛盾が生まれ、それにより排除的な力が生まれる
だけでなく、矛盾が人の脳を混乱させ、身近な人間にその混乱
した脳が生み出すフラストレーションが向けられてしまうのか
もしれません。。

> > 問題に対して「知る」ということは、それを知り得た時点で、
> > かなり解決できるような気がします。さらに、「誰もが知る
> > こと」が、とっても重要だと思います。そして、
> > 「知っている」人たちは、かえってそれを「知らない」という
> > ことが、どういうことかを「知らない」かもしれません。
>
> 確かに「知る」ということは、とても重要なことだと思います。
> 暗闇でも、何もないと分かっていれば怖くは有りません。

暗闇は、恐いです。。ある物も見えなくして、ない物を出現させ
ます。。。恐い物でも見えれば、さほど恐くはないのかもしれま
せんね。見えないことが一番恐いですね。

> 同様に、孤立の恐怖も、十分な知識があれば克服できる
> ものと僕は信じます。

なるほど。。なんか納得してきました。
孤立の恐怖も、さほどのことはないと知っていれば、
けっこう対処できるかもしれません。

> > じゃあ、どうしたらいいんだ!なのですが、、私としては、
> > 一つの考えで前にも言ったことがあるのですが、、
> > 「恐い。。。」を、素直に言える社会が来たらいいな〜と
> > 思ってます。恐いという感情こそ原始的な感情で、人間は
> > それに逆らえないのですから、だれもが恐いということを
> > 言える社会がくれば、互いが「恐いことは悪くない」ことだと
> > 理解できて、互いに「恐いことを相手に行わない」世の中が
> > 生まれるのではないかと思います。
>
> この部分はちょっとよく分かりませんでした。「怖いが素直に
> 言えない社会」というのはどういったものなのでしょう?僕は
> 怖いときは怖いといいますけど。怖いが素直に言えるように
> なるにはどういったものが必要なのでしょうか?

質問には、、すぐに腰砕けになる私なので、うまく答えられませ
んが、、大人になると、「恐い!」って、そうそう言えますでし
ょうか?言えないまでも、自分で密かに「恐い・・・」と思う
こともできないように思います。
私だけなのかなぁ。。。

> 後、始めの部分に戻りますが、
>
> > 現実では、自分の道を進む人はこの考えを持っていま
> > すが、これ、強い排除主義でもあるような気がします。
> > 排除を生む一つの考え方に似ているような気がしまし
> > た。自分を独立した存在にするということは、他を自
> > 分から遠ざけることにもなるような、そんな気が。。
>
> これは確かにそうかもしれません。他人を排除して
> 自分の考えを貫くわけですからね。しかし、集団での
> 排除と違ってこちらの排除主義は、いいことだと思うの
> ですが、どうでしょう?

う〜ん、そうかもしれない。。です。
自分で言ったことが分からなくなってます。。もう。。(苦笑)
その、、「人が自由に道を選ぶ自由」までも、「他者排除」
などと言ってしまったら、どうしようもないですね。
人間には、自由があるから、排除的な行動は、、必ず
あるのかもしれません。。。

どうも、私は、この「自分の道を行く」というのが苦手で、
「自分の道を行く人」に取り残されてしまった経験がある
ようで、、取り残されてしまう寂しさとでもいましょうか・・・。
そんな時に、「一緒に連れていってよ。。」「そんなに、
先に進むなよ〜」と、、思ったことがあったもんで。。
この「自分の道を行くときの人との別れ」は、、
決断して行く人にとってはなんでもないことのようですが、
残される方には、、けっこうつらいものがありまして。。
・・・なんか、個人的な経験を想定して語ってしまって
いたのかもしれません。・・・すみません。。。

−−−−
・・・なんか、排除なんてことは、実は錯覚のようにも、、
見えてきました。ある人間が、集団から排除されても、
それは被害妄想的な考え方であって、たんなる別れとか、
分裂なのかもしれません。。。
人間に自由があればあるほど、別れは生まれてしまう。
別れを認めないと、「排除だ!」などとなる。。
なるほど、、ねぇ〜。

なんか、いろいろ考えられました。。ありがとうございます。

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ゲンゴロウ。。。


















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